2016年12月31日土曜日

大晦日



2016年が暮れていこうとしています。

年と共に時間は加速度をつけてブンブン回り、

あっという間に時は過ぎていくような気がします。

1年のなんと早いことかと思います。

今年初めて出会い大切な縁を持てた方も何人もいました。

苦手な出会いも過ぎてしまえば

自分自身を知るための必要な出会いだったと思います。

今年あった全ての出会い、出来事が

来年につながる大切な何かになるように生かしていきたい。

ありがとう、さようならみんなみんな。

2016年の出会いに感謝です。

2016年12月30日金曜日

晦日



長崎は霜がおり冷え込んだ朝となりました。

今年も後2日、

正月花を活けたら、すっかりお正月の感じがしてきました。

南天は、姉の家のもので1本で華やかのものを使いました。

梅はつぼみがいっぱいですから、

玄関で1月中旬には咲くでしょう。

あとなんちゃって門松は、今日作ることにします。

明日は長男夫婦が帰ってきて、夫の姉妹家族と皆で迎える正月。

霜がおりたから今日は暖かないい天気になるでしょう。

サクサクと掃除、料理などはかどるでしょう。

頑張ろう!

2016年12月29日木曜日

まだまだ咲いてます



冬の寒さを避けて家の中に取り込んだハイビスカス。

まだまだどんどん咲いてくれています。

昨年6月頃に花が終わった残りものの小さな一株を

150円で買ったものです。

昨年の冬、今年の冬と生き延びて大きくなり

次々に咲き、赤い花が元気を与えてくれています。

初めから大きくて立派なものより、売れ残って少しみじめなのを

買い育てた方が、しっかり花は応えてくれるような気がします。

以前買った売れ残りのシクラメンも5年咲き続けました。

いえいえ花が応えてくれるのではなくて、

私がそんな花だからと情熱をもって関わるからかもしれません。

それにしても冬にハイビスカスが咲くなんてありがたいことです。


2016年12月28日水曜日

ちいさなお肉屋さん



『築町のちいさなお肉屋さん

味へのこだわりはおおきんです。』

という垂れ幕がかかる築町の「肉のワタナベ商店」。

正月用の角煮用の豚の三枚肉、日向鳥、特性のハンバーグ

など色々と買い出しに行ってきました。

ほんとに小さなお店ですが、こだわりの美味しい肉があり

いつ行っても長崎のおばちゃん達であふれています。

不思議と昨日は空いていて、ゆっくり選んで買い物ができました。

私は牛肉は苦手なのですが、ここのハンバーグ肉は

香辛料の配合がよくて美味しくて好きなのです。

築町界隈の専門店の井上鯨屋、乾物の中島などでも

正月用品を買い出して、

帰りには買い物袋が重く大変でした。

でもお正月を無事に迎えられるってありがたいことです。

2016年12月27日火曜日

一年の締めくくり



もうすぐこの一年が終わろうといています。

今日はその振り返りの時にしたいと思います。

一年の計は元旦にありと夢ノートに箇条書きにした願いは、

叶ったことも多々ありましたが、努力したにもかかわらず、

願いどうりに進まなかった事、誤解、思いのすれ違い

病気もしたし、想定外の嬉しい事など様々なことがありました。

プラスもマイナスもあって当たり前ですが、

どうしても「プラスだけあって欲しいマイナスは嫌だ」と

強く思っていた私がありました。

でも今年は「プラスとマイナスはセット」ということが

腑に落ちてマイナスも潔く引き受ける覚悟ができました。

引き受ければ、事態が動くことがわかりました。

今年経験した様々な思い後悔や慙愧などから自らを知り、

来年は喜びにつなげ転換できるのではないかと。

色んなことがありはしましたが、行きたい所には行け、

学びたい事は学べ、家族や善友達に支えられた良き年でした。

条件さえ整えば、

一年中でも咲いてくれる窓辺のセントポーリアのように。

2016年に感謝です。

2016年12月26日月曜日

障子の張り替え



年末に暖かいのは、水仕事がはかどり助かります。

昨日は障子の張り替えをしました。

毎年張り替えますが、1年位では汚れも破れもありません。

今年はもうしないでいいかなと思ったのですが、

やはり新年を気持よく迎えたいので張り替えました。

外で桟のほこりをたわしでこすり洗い流し干したら、

私自身の気持ちまですっきりしました。

アイロンで張るので、張るのも剥がすのも簡単で

4枚の障子は2時間位で張りあがります。

新年を再生とみなし、

障子やふすまを張り替え、気持ちを新たにする。

なんていい習慣なのかと思います。

後5日で新年です。

ぼちぼちできることをしていこうと思っています。

2016年12月25日日曜日

エプロンドレス

     後ろ

友人が可愛いエプロンドレスを縫ってくれました。

前見頃はギャザーが入り、後ろ見頃は肩甲骨の所まで

縫ってありそれからはスリットが入っています。

ギャザー部分までは内側に見返しがついていて

袖口はゴムでポケットも両脇にあり、

かぶって着ることができとても着やすいのです。

ゆっくりサイズなので着ていて楽ですし、

何より羽織っていて暖かいのです。

年末の家事がこのエプロンを着ているとルンルンではかどります。

愛のこもったエプロンドレスは、身も心も温かくしてくれます。

ちょんちゃんありがとう。


2016年12月24日土曜日

シコンノボタンの紅葉





紫の花が咲くノボタンですが、

今年は花が全く咲きませんでした。

そのかわりか、暖かなせいで葉が紅葉してきました。

花もない時期の寒々とした庭が

ノボタンの一角だけ明るくなっています。

朱色の葉っぱは美しいです。

人も花もそれぞれの時期に、見せるべき姿があるんだなあ。

2016年12月23日金曜日

NHk 「残饗の街 長崎」福山雅治



昨夜のNKK「残饗の街・長崎」の福山さんの番組は

今年1月24日の長崎の大雪から始まり感動しまくりました。

平和記念像、大浦天主堂、外海の祈りの大岩、軍艦島、

グラバー園、三菱造船所の遺構、山王神社の被爆クスノキなど

長崎の歴史そのものを映し出していました。

最後は、浦上天主堂で「クスノキ」を歌われほんと良かったです。

見逃された方は再放送が29日にあるみたいなのでお見逃しなく。

私は録画もしましたので、折にふれて見たいと思います。

NHkは、ほんといい番組を放送します。

飛行船(スヌーピーJ号)



先日飛んでいたスヌーピーJ号(メットライフアリコ)の飛行船です。

日本で現在飛んでいる唯一の飛行船だそうです。

たぶんパイロットは乗っているんだろうと思いますが、

どうなんでしょうか?

この日、一日中青空の中、夕焼けの中を

気持ちよさそうに飛んでいました。

もし人が乗ることができたら、乗ってみたいけど

怖がりの私にはやはり無理でしょう。

2016年12月22日木曜日

冬至



昨日は冬至でした。

月1回の恒例の夫の姉妹を呼んでのぜんざい会には、

カボチャを入れて冬至カボチャにしました。

一日には、お赤飯で小豆を炊くので残りの豆はぜんざいにします。

だから月はじめにぜんざい会をするのですが、

今月は夫も私も何かと用事がありちょうど冬至の日となりました。

皆60才を過ぎていて、

わいわいがやがやと昔話や近況報告などします。

スープの冷めない距離に住んでいてよく出会っているのですが、

定期的なぜんざい会はまた特別です。

カボチャも食べたし、夜はゆず湯で、

これからも姉妹一同元気に過ごせるでしょう。

2016年12月21日水曜日

忘年会




今年もまた夫の仕事関係のご夫婦の方との忘年会を

いつものレストランで

息子のチェロの演奏付きですることができました。

夫達は互いに70近くになっても元気で仕事ができ充実した日々を

過ごせていることを感謝しながら楽しいひと時を過ごしました。

年をとり、おじいさん、おばあさんになっても

元気で年末には出会っていきたいなあと思う方々です。


今年も残り少なくなり、もうすぐクリスマスです。

いただいたシュトーレンを少しづつ食べながらこれから年末まで

新年を迎えるための準備をしていかないといけません。

遊んでばかりいないで私は主婦業がんばろう!

2016年12月20日火曜日

ムクロジ






諏訪神社の県立図書館側の階段脇にあるムクロジの木です。

12月暖かいせいか、まだ黄色の葉は残り飴色の実も残っています。

この飴色の果肉が熟し落ちると中から黒い実がでてきます。

その実が固くてつやつやなので、羽根板の羽の実や数珠になります。

飴色の果肉は、こすると石鹸になり、

子供の頃従妹と一緒に近所の山で「シャボン、シャボン」

と言って遊んだことを懐かしく思いだしました。

昔のことを懐かしむのは、年をとった証拠かしら?

12月も20日になろうとするのに、ムクロジの黄葉がみれるなんて

何か変な感じです。

2016年12月19日月曜日

遺品整理完了




昨日は朝日、夕日を叔母の家で見て、

祖父母の代からたまっていた全ての物の処分をしました。

「餅屋は餅屋」で専門の方々が手際よく

ものすごい量の物を家から出してトラックに積み込んで下さいました。

物が多くお手上げ状態だったので、

お金はかかりましたが助かりました。

祖父母、叔母と住み続けた家を

お行月を前にすっきりできたので良かったです。

どんな物もあの世に帰る時は持ってはいけません。

ご先祖様に物を処分することのお詫びをし、

ご先祖様の愛情や思いは受け継ぐことを祈りました。

ご先祖様も許して下さると思います。

美しい朝日、夕日がその答えのような気がしました。

2016年12月18日日曜日

戦時貯蓄債券




叔母の家の整理の時に祖父の重要書類の中に

何枚もの昭和17,18年発行の戦時貯蓄債券が出てきました。

日本勧業銀行、郵便局などが発行し

大日本帝国などの表記があります。

祖父は当時なけなしのお金を戦争債券に貯蓄していたのでしょう。

でも敗戦で戦後は紙屑同然となり、

捨てるに捨てられず家の権利書などと一緒に保管していました。

先日4夜連続でNHKドラマ「東京裁判」が放送されました。

私達世代は東京裁判どころか戦後の混乱の歴史を

詳しく学ぶことはなくてほとんど知りません。

ドラマはよくできていて、わかりやすかったです。

あの戦争から戦後の時代を

祖父母、両親世代は必至に生き抜いてきました。

この券に戦時中、戦後の祖父母等の複雑な思いを感じました。

家の様々な物は整理はしますが、

ご先祖様への思いや感謝は忘れずにしていこうと思います。

2016年12月17日土曜日

遺品整理



昨日は1年前に亡くなった叔母の家の

遺品整理のための袋づめを業者の人と一緒にしてきました。

広い家に85才まで一人住まいで、

見える所はすっきりしていたのですが、押入れ、使わない部屋は

納戸など物がいっぱい詰まっていました。

今の私達は、断捨離を知っていますが、

戦前に生まれた私達の親世代は、

とにかく物を捨てられず何でも取っておいてためています。

ほとんどどうしようもないものばかりです。

ためすぎてどこに何があるのかわからなくなり、

重要書類さえ物の中にうもれわからなくなっていました。

その整理するものはトラック15台もあるのです。

叔母は折り紙をしていて、金色のリースが出てきました。

私はそのリースと私達の40年前の結婚式の

引き出物の小皿がそのままだったのでそれをもらってきました。

叔母は独り身だったし、長崎には私しかいなくて

まだまだ色々と整理することがあり大変です。

でも私のミッションだと思い音を上げず、色んな人の協力のもと

一つづつ楽しんで片づけていこうと思っています。


2016年12月16日金曜日

光はやみの中に


光はやみの中に輝いている。
そして、やみはこれに勝たなかった。
         ヨハネによる福音書 第1章5


12月らしい寒さの中、雲の切れ間より光がさしていました。

闇があるから光を感じ、光があるから闇を照らす。

光と闇はセットみたいなものです。

両方あるからわかりやすいのだと思いました。

ヨハネによる福音書は、

「初めにことばがあった」から始まります。

90才近くまで生きて書いたといわれるヨハネの福音書。

イエスを慕いイエスの言葉は光そのものだったのでしょう。

あと10日もするとクリスマスです。

聖書を開きイエス様を感じてみようと思います。

2016年12月15日木曜日

広島平和記念公園(広島市)

       原爆ドーム


     原爆の子の像

原爆死没者慰霊碑


広島の平和記念公園を訪れました。

オバマ大統領が5月に来られたせいか、

日本人ばかりでなく、多くの多国籍の外国人もいっぱいでした。

核兵器の惨禍を伝える建築物の原爆ドーム、原爆の子の像の

禎子さんのおり鶴、核兵器がなくなるまで

赤々と燃え続けている平和の灯など見ました。

一瞬のうちに14万の無辜なる人々が残忍な核兵器で、

苦しみ死んでいかれた事を思うと胸がいっぱいになりました。

原爆死没者慰霊碑には

「安らかに眠って下さい。過ちはくり返しませんから」と書いてありました。

主語は誰?誰が過ちをくり返さないと誓うの?

「私達人類は」とあればわかるのですが、

単純に読むと日本が間違いをしたから

原爆が落とされたという風にも読めます。

何か納得いかないものを感じ悲しくなりました。

私は長崎に生まれ、両親をはじめ身近な人が原爆被害を受けました。

長崎も被爆した浦上天主堂をそのまま残していたら

よかったのにと切に思いました。

広島の平和記念公園は広くて色々なモニュメント、

資料館にはオバマ大統領の鶴もあり訴えかけるものがありました。

世界中からたくさんの人が来て原爆のこと、

見て感じてもらいたいと思います。

原爆死没者への冥福と

核兵器の廃絶、恒久平和を祈り公園を後にしました。

2016年12月14日水曜日

美保神社(松江市美保関)




えびす様の総本宮の美保神社(松江市美保関)に行ってきました。

同じ島根にあるのに大国主命(だいこく様)の出雲大社は有名で、

事代主神(えびす様)の美保神社はあまり知られていません。

出雲大社と美保神社を両方お詣りして両詣りで、

片方だけだと片詣りだそうです。

えびす様とだいこく様はセットになって額にも飾られていますよね。

美保神社、私も知りませんでした。

主祭神の事代主神とは、出雲大社の大国主命の長男です。

ちなみに古事記では、高天原から出雲に国譲りの使いがきた時に
大国主命は息子たちに意見を聞きました。
長男の事代主神はOKをだしたのですが、
次男の建御名方命は承諾せず、すもうで勝負をつけようとし
負けて長野の諏訪に逃げたとされています。
その建御名方命は諏訪大社の御祭神となっています。

そんな事代主神の美保神社は、松江駅よりバスを乗り継いて

1時間20分の辺ぴな所にありました。

以前は公共交通機関のバスが走っていたそうですが、

過疎化でなくなり今はコミュニティーバスが通っています。

そんな事情もあり、神社を訪れる人は減っていったようです。

私もこのバスに行きも帰りも一人で貸切状態でした。

えびす系神社は大阪の西宮神社が本宮のものと

美保神社が本宮のと2通りのものがあるようです。

「ミホ」という言葉が気になっていたので行きました。

年末にえびす、だいこく様とお詣りができたので

来年はMAXの創造をして思い通りの生き方ができるかもです。

2016年12月13日火曜日

日御碕(ひのみさき)

     日御碕神社


     日御碕灯台



出雲大社よりバスで20分の所にある日御碕です。

朱塗りの日御碕神社の裏は日本海に面し、

今は飛来したウミネコがいっぱい来ていてその白い羽が

天使の羽のように空から降ってきます。

そのそばの低い山を10分も上ると灯台があります。

日御碕神社はアマテラスとスサノオが主祭神で、地元の人が

出雲大社の親神様だといわれるほどの位の高い神社です。

お詣りをした後、灯台に私は一人で強い西風を受けながら

サスペンスドラマに出てくるような断崖絶壁を見ながら上りました。

来てる人は誰もおらず、ここで何かあったら怖いなあと思い

立っていたら風で転びそうになるので座っていました。

そうしていると、古事記に出てくる「ムスビの大神」の大国主命が

海の彼方より荒波に乗って来る輝く幸魂奇魂

(さきみたま くしみたま)をお受けになった姿が思いおこされ

感動し心が高揚してしまいました。

冬の日御碕はまた格別にいい所でした。

帰りには灯台の下の食堂で地元の岩のりとウニの丼、

しじみの味噌汁をいただきました。

絶品でそれはそれは美味しかったです。

2016年12月12日月曜日

帰ってきました






夜行バスで福岡から出雲に行き

山陰から広島まで学生時代のように地図を見ながらリックを背負い

一人旅を楽しんできました。

天気もよくて朝日、夕日を眺め

山陰の空はいつも天使のはしごが出て見守ってくれているようでした。

12月の旅行はどこも空いていてバスも貸切り状態でした。

いつ行っても賑わっていた出雲大社までも、

人が少なく静かな参拝ができました。

お金もあまり使わず簡素な一人旅が

元気で充実した意義あるものになりました。

私の留守の間、夫と息子は交代で料理をし近所にいる姉まで

よんで楽しい夕食をしたそうです。

互いに充実した日を過ごせたようで良かったです。

2016年12月8日木曜日

一人旅



今夜から旅に出ます。

この忙しい12月に私の道楽につきあってくれる

きとくな家族や友人はなく、

一人リックを背負ってバスや列車で移動します。

自分の根源を知っていく旅になりそうです。

パソコンは持っていかないので、ネット断捨離です。

40年ぶりのお気楽な一人旅。

少しの不安と期待の入り混じった挑戦の旅ですが、

行くからにはどんな出会いがあるか

楽しんでこようと思っています。

2016年12月7日水曜日

 開く



草場一壽氏のシルクレの「開く」です。

「開く」とは、隔たっていた仕切り覆いなどが

動かされて除かれることと辞書には書いてあります。

開くには色々な意味があります。

絵のように花が開く。

心のわだかまり(エゴ)がなくなり心が開く。

未開拓の場所や土地などを開拓し(新しい事)開く。

宴を開く(楽しいことの幕開け)。

運が開ける。

開けゴマ(アリババと40人の盗賊の呪文)などは、扉が開き

中にはお宝がいっぱいでした。

12月今年の振り返りの時です。

振り返れば今年も色々大変なことが多々ありましたが、

人や場に助けられて開けた年になりました。

感謝です。

2016年12月6日火曜日

里の黄葉


♪こころざしをはたしていつの日にか帰らん 
  山は青きふるさと、水は清きふるさと ♪


里では、もうほとんどのもみじは散り、

今はイチョウの黄葉まっさかりです。

イチョウが黄葉し散るさまを見ていると

「ふるさと」の歌みたいだなあと思います。

黄色に輝いて、見事に美しい姿で

ハラハラといっきに散っていきます。

私も今を一生懸命に生き楽しんで

こころざしを果たしてパッと散っていきたいものです。

2016年12月5日月曜日

タケノコ芋




晩秋から冬にかけてが旬のタケノコ芋を市場で見かけました。

30㎝はある長いもので、まさに姿はタケノコです。

この芋サトイモよりもあっさりしていて調理しやすく

煮崩れしないのでよく使います。

今回はシンプルに、唐比レンコン、こんにゃく、厚揚げ、

人参と一緒に煮物にしました。

年をとるとともに、煮物などおふくろの味が懐かしく

よく作るようになりました。

人様がきてもよく食べて下さいます。

タケノコ芋ほんとに美味しいです。

2016年12月4日日曜日

童話館ブッククラブ通信



「童話館ブッククラブ通信」がこどもの本の専門店の童話館から、

今年も元会員だった私にも送られてきました。

‘‘哀愁の記憶‘‘を手繰り寄せ、少し先のことと、少し前のことを思う。

とタイトルに書いてありました。

息子達が幼い頃から小学年まで10年程童話館より

選び抜かれた本を読んでやっていた日々を懐かしく思いだしました。

図書館からもたくさん借りてはいましたが、

童話館から届く本は特別で今も大切に保管しています。

子育ての中で絵本からは多くの恵みを頂きました。

息子達はもう忘れていると思いますが、本を読んでやった時代は、

私にとってもかけがえのない穏やかな楽しいひとときでした。

「通信」に今子育て中の2家族の

絵本や本のある暮らしのついての記事がありました。

読んでいて昔を思い出しほっこりと暖かな気持ちになりました。

前代表の川端強氏は亡くなられましたが息子さんが

しっかりと童話館の理念を受けつがていることを嬉しく思いました。

絵本をいつの日か幼い子に読んであげられる日がくるといいなあ。

2016年12月3日土曜日

セントポーリア



南向きの家は、冬にお日様がいっぱい入り暖かで助かります。

そのせいか窓辺のセントポーリアはいつも花をつけてくれます。

私の育った家は西向きで、夏に熱く冬は寒い家でした。

夫の転勤で南向きの社宅に住んでその良さにびっくりし、

それ以来何度か引っ越しをしましたが、

南向きの家しか住まないと決めていました。

暑い夏は日が入らず涼しく、

秋から3月までは日が入り暖かいのです。

だから温室みたいになるので、冬は雨戸を閉めます。

今朝は冷えましたが、

今日もいい天気でお日様がいっぱい差し込みます。

まずは掃除をして充実した日にしていきます。

2016年12月2日金曜日

泡黄金菊(アワコガネギク)



泡黄金菊(アワコガネギク)が小さな黄色の花を

泡のようにびっしりつけて咲いていました。

子供の時から慣れ親しんできた野菊で見て香りをかぐと

幼いおかっぱ頭だった頃の自分にタイムスリップします。

実家のそばにもたくさん咲いていて、

ままごとにも使って遊んでいました。

香りがよいので集めて干して菊枕にしようとしたこともありました。

かなりたくさんの菊が必要で作ることはできませんでしたが。

そういえば最近この花あまり見かけなくなりました。

日本の固有種で大切にしないといけない野菊なんです。

2016年12月1日木曜日

柊(ヒイラギ)




早いもので今日から12月です。

木ヘンに冬と書いて柊(ヒイラギ)。

ヒイラギが小さな白い花をびっしりとつけて咲いていました。

モクセイ科では金モクセイ銀モクセイに続き最後に咲きます。

葉っぱがギザギザしていて触ると痛いです。

名は「ひいらぐ」ヒリヒリと痛いという和語からきているそうです。

いい香りがするのでまわりを探したらヒイラギがありました。

ジョギングコースの山道に咲いていて、

地面をみたらイノシシが荒らした後がありました。

冬は夕暮れが早く、夜行性のイノシシは夕方になると出没します。

昨日は八郎川沿いの茂みにいたのを見ました。

自然いっぱいでいい所なのですが、

夏はヘビ、冬はイノシシに注意して走らないといけません。

ヘビもイノシシもヘビーで苦手です。

2016年11月30日水曜日

唐比の水晶観音(諫早市森山唐比)

  
補陀林寺




諫早市森山町唐比にある補陀林寺の水晶観音様に出会えました。

曹洞宗 補陀林寺の案内板によると

平安時代朱雀天皇の頃、この地の領主渡辺氏の姫であった虎御前が
楠の木を切ったくり船で乳母と舟遊びをしていたら、突然船が回りだし
船が沈み姫とくり船は見つからなかったそうです。
それから500年後、西日本が干ばつになり
天皇は個々の領主に雨乞いの祈願を命じられたが
一向に雨が降りませんでした。
そんな中、ある夜天皇の夢枕に観音様が現れ
「肥前国唐比の池の龍神に祈願せよ」と。
天皇の命を受けた深堀の和尚がその任にあたりやっと雨が降った。
そのハス池の蓮の間に一そうのくり船が浮かびその中に水晶の観音様が
座っておられ、その観音様をお寺をつくりお祀をした。


お寺を訪ねると鍵がかかっていましたが、隣接するお寺の住居の方

に声をかけたら、管理人の方が気持ちよくお寺を開けて、

水晶観音様を持ってきて下さいました。

その透き通った手のひら位の観音様を拝むことができました。

写真は恐れ多くて撮ることはひかえました。

以前から唐比のくり船も水晶観音のことも知っていました。

でも唐比のハス池に18年程毎年来ていたのに

観音様やくり船を見たいとは思いませんでした。

しかし昨日は、善友のために観音様を見たいと思いました。

善友達のお蔭で観音様に出会えたかけがえのない日となりました。

帰りには海には光の道、空は鳳凰雲が出ていました。

何とも不思議な日でした。

2016年11月29日火曜日

ススキとセイタカアワダチソウ

セイタカアワダチソウ




八郎川沿いにやっとススキの白い穂が出はじめました。

以前は空き地や野原にススキは普通に生えていました。

昭和の終わり頃からセイタカアワダチソウの勢いが強く

ススキは負けてあまり見かけなくなりました。

でも段々とセイタカアワダチソウも以前のような勢いがなくなり、

あんなに高かった丈も低くなり、日本の風土になじんだようです。

だからまたススキが少しずつ復活したのではないかと思います。

雑草の世界も弱肉強食で、

空き地も植物が少しづつ入れ替わっていきます。

十五夜(9月)にススキを飾りますが、

その頃はまだここら辺では穂は出ていません。

ススキも暖かいせいか時期がずれて今がシーズンって感じです。

ススキはよく見ると風情があってきれいな草花です。

昔、セイタカアワダチソウは気管支喘息や花粉症になる

といわれていましたが、

風媒花ではなく虫媒花とわかり今では問題がないとわかりました。

悪さをしないとわかると黄色でこれも可愛い花に見えてきました。