2018年12月30日日曜日

イノシシの子供



来年はイノシシ年なので、庭にウリ坊が出没しましたが

枯葉を集めて遊び悪さはしませんでした。

家の中では、父親が子供に時に使っていた

汽車の積み木が気にいったようで無心に遊んでいましたとさ。

龍雲と竜眼



昨日の夕方に出ていた雲は手もある龍のようでした。

だから夕食には早々と

正月用に用意してあった竜眼をいただきました。

竜眼とは、長崎のおせち料理に使う

真ん中にゆで卵の入ったイワシのかまぼこです。

半分に切ったら竜の目のようで縁起がよいものですから、

お正月にいただくのです。

2018年12月29日土曜日

暮れゆく



今年最後の夕方の散歩に出ました。

暮れゆく空にマガモが飛び立ちました。

今年も色々なことがありましたが、

全て必要なことだったのでしょう。

こうして元気で鳥や植物や移ろいゆく季節を楽しめるって

有難いなあと感じながら歩きました。

マガモの写真をよく見ると落し物をしながら飛んでいます。

高く飛ぶために身を軽くし食もつつしんでいるんでしょう。

もっと私も自分を律して生きないとなあと思いました。

2018年12月28日金曜日

鉄卵


今日の長崎は冷え込みチラチラと雪が降っています。

今日からお正月料理に取りかかりました。

まずはお正月用の黒豆を炊きました。

その必需品が鉄でできた卵で鉄卵です。

年に2~3回使うでしょうか?

長崎ではお正月やお祝いに、昔は黒豆ではなく、

六寸豆(白いインゲン豆)を炊いていました。

砂糖が長崎は豊富にあったから長崎人は甘党で

砂糖で甘くし喜んで食べていました。

私も十六寸や白花豆をよく炊いていましたが、

いつの頃からか我が家でも、

正月には黒豆や紫花豆を炊くようになりました。

豆じたいが黒豆や紫花豆が美味しいのです。

次は煮豆ではなく、

酢黒豆で鉄卵を使おうと思っています。

2018年12月27日木曜日

未来からの記憶



今日はお天気がよく暖かで掃除がはかどり助かりました。

掃除していたら、40年前に刺していた刺繍が気になりました。

当時子供がなかなかできなくて、

こんな可愛い子ができたらなあと思い刺したものです。

その後5年位して年子で男の子2人を授かりました。

今年は刺繍のように男の子と女の子の孫ができました。

よく見ると孫に似ているように思えます。

40年前に未来からの記憶で孫が見えていたのでしょうか?

「ガラスの仮面展」



正月準備で掃除や料理など忙しい時に新聞で、

「ガラスの仮面展」が博多阪急で開催される記事を読みました。

ガラスの仮面は1976年に第1巻が出てすでに42年。

完結しないまま2012年に第49巻が出て止まっています。

美内すずえさんは「エンディング」のシーンは

20年前から決まっていてあらすじも変わっていませんと

言われていますが、、、。

始まった時は私は23才でしたが、あれから42年。

生きているうちに完結編は見れるのでしょうか?

漫画はほとんど読みませんが、

美内すずえさんの「アマテラス」、

「ガラスの仮面」だけは大切な大切なお宝の本です。

今度改めて第1巻を読み返しましたら、「ガラスの仮面」

の北島マヤをはじめ登場人物の性格が初めから

十分に表現されていてびっくりしました。

博多阪急のガラスの仮面展には、

さすがの私も年末年始で行けませんが、

北島マヤと速水真澄の恋、

紅天女は北島マヤか姫川亜弓のどちらが演じるのかと、

完結編が出るのを首を長くして待っています。

2018年12月26日水曜日

大浦界隈 2(長崎市)



大浦界隈を歩いていて「ドンドン坂」というのに出会いました。

雨が降ったらどんどんと水が流れるから

ドンドン坂というそうです。

この界隈に古くて立派な狛犬がいる稲荷神社もありました。

口を閉じて吽形の一本の角が生えているのが狛犬、

口を閉じ阿形のが獅子です。

獅子と狛犬で一対をなしています。

お稲荷さんの石像は古くてお顔はわからなくなっていました。

ここは、

竜馬を援助した小曽根家の当主の家の稲荷神社みたいです。

私は年をとっても色々と興味は尽きず、

年の瀬というのにぷらぷらと毎日を楽しんでおりました。

でも今日からは正月準備をしっかりとしなくては、、。

2018年12月25日火曜日

大浦界隈 1 (長崎市)




先日大浦教会に行ったついでに大浦界隈を散策しました。

歩いていたら長崎地方気象台があり、松の木の坂道を上り

桜の開花宣言の標準木を見たいと思い立ち寄りました。

坂を上がった所に何本かのソメイヨシノがありました。

その中に植物季節観測標準木と看板がでているのがあり、

やっとその木に出会えて嬉しかったです。

海風を強く受ける所で台風などで、

老木の桜はけっこう折れたりし切られていました。

でも冬芽はいっぱいついていました。

寒い冬にしっかり準備して咲くソメイヨシノの冬芽。

来年の桜の開花宣言はいつになるのかしらと楽しみです。

2018年12月24日月曜日

大浦教会で




クリスマスイブの日、縁ある大浦教会に行きました。

イエス様はまだお産まれになっていないので、

台の上には幼子イエスはいません。

お生れになった25日に置かれるそうです。

十字架にかけられ昇天されるまでのイエスの生涯が

祭壇中央のステンドグラスの描かれています。

よく見ると十字架のイエスの前には3人の女性がいます。

青いマントの母のマリアとマグラダのマリア、

後の一人は誰かしらと気になりました。

入口上のステンドグラスは16菊花紋とよく似ています。

この大浦教会は国宝の大浦天主堂が観光客が増加し

ミサなどできなくなり1975年に教会の司牧のためにできました。

私は国宝の大浦天主堂での最後のクリスマスミサを

43年前に受けたことを思い出しました。

当時は真夜中12時のミサだったと思います。

昔々結婚のために神父さんの元に夫と一緒に毎週1回、

カトリックについて学ぶために半年間位通いました。

洗礼、堅信を受けて大浦教会で結婚式をあげてもらいました。

縁ある教会にクリスマスイブに行けてよかったです。


2018年12月23日日曜日

雨の中で





小雨が降る中を夫と教会まで6k程八郎川沿いを歩きました。

桜並木は冬芽がしっかり出て、水仙はいい香りがしていました。

川ではアオサギが濡れてぶるっとしているようで、

ミサゴ、カモ、カワセミと馴染みの鳥を見ながら

けっこういい運動になりました。


2018年12月22日土曜日

冬至と満月



冬至の今日は年に一度の恒例の夫の友人ご夫婦との

クリスマスディナーでした。

今年は互いの家に善きできごとがありました。

それを祝福するかのように、

食事が終わり外に出ると満月で

月の周りには光冠がでていました。

夫たちを見ていて、70才を過ぎても元気で仕事があり、

語り合う友がいるっていいなあと思いました。


2018年12月21日金曜日

あおむし君


はらぺこあおむしの切手を買ったら、

翌日あおむし君が来ました。

でもはらぺこではありません。

風邪をひいていて食欲がありません。

あんなによく食べ、よく笑っていたのに、、。

早く元気になって

あおむし君みたいにもりもり食べて欲しいです。

2018年12月20日木曜日

はらぺこあおむしの切手



クリスマスの時期は楽しいグリーティング切手が出て,

クリスマスカードなどに利用できます。

今年ははらぺこあおむしの切手を買いました。

メールやメッセージでお祝いなどもすませられますが、

ポストカードや手紙はやはりもらったら嬉しいものです。

はらぺこあおむしの切手使って手紙出さなくては、、。

2018年12月19日水曜日

2019年スケジュール帳



来年度のスケジュール帳を元職場よりもらってきました。

2007年度からこれを使っていて日々の出来事、

余白にはその月したい事、目標など色々と書いています。

薄くて使いやすく、

過去の事もすぐに調べられるのでとても便利です。

後はノートになっていて、読んだ本、

講演会などで心に残った言葉、見た映画、

その年に作った正月料理など書き込んでいます。

2007年のを開いてみると、私はまだ仕事していたし、

両方の母は介護が必要な日々、

息子達は大学で家を出ていて夫との二人暮らしでした。

このノートは私と家族の歴史です。

その時々の喜び、悲しみ、苦労が読み取れます。

来年度のは初めて明るいオレンジ色です。

楽しくワクワクする予定をいくつか書き込みましたが、

いい事がいっぱい起きて埋まるノートにします。

2018年12月18日火曜日

夕方の散歩で




昼間は暖かかったのですが、夕方の散歩は

日が落ち出しやはり冷えて寒かったです。

でも月がきれいでカワセミ君と

ペアーの背黒セキレイに出会いました。

日の出が遅く、日の入りが早く

師走という感じになってきています。

クリスマス飾り


クリスマス飾りをやっと出しました。

馬小屋の御子様は義母からもらったもので、

義母も使っていたので50年以上。

サンタさんは私の母からの息子2人に初めての

クリスマスプレゼントでした。

お菓子が入っていた袋でこれも30年以上。

仏教徒の母からの思いもかけない物で嬉しかったのです。

孫可愛さについ買ってしまったのでしょう。

松ぼっくりのリースは、家を建て替えた時に知り合いが

お祝いに近くの山で集めて作ってくれたもので23年。

リースの鐘は誰かからもらったものです。

皆、愛にあふれたものでクリスマスを迎えます。

でも今年も相も変わらず同じクリスマス飾りとなりました。

2018年12月17日月曜日


現在使用している鈴達です。

いい音で場を清めてくれます。

神社のお土産にはたいがい鈴が売ってあり、

頂いたり、買ったりした子たちです。

「幸魂奇魂守給幸給」と神言が書かれた出雲大社の鈴。

伊勢神宮の神紋の花菱紋の金色の鈴。

明治神宮の朽ちた木からできた「こだま」という木の鈴。

木の中の玉はどうやって入れたのか?

美智子皇后がお買いになったという

宇美八万神社の竹細工の鈴。

これは新しいのをと思いましたが、

手がかかり今はもう作ってないそうです。

西山神社の元旦桜の花とだるまの鈴。

インドの柄に象がついている鈴。

20代で買った願いが叶うと鈴が割れていくという土鈴。

始め5個ありましたが、徐々に割れていって今は1個。

最後の願いは何でしょう?

この子たちはそれぞれの場で活躍しております。

たまには孫のおもちゃにもなったりしてくれる

ありがたい鈴たちです。

2018年12月16日日曜日

ラジオ体操


NHKのラジオ体操の第1と第2を毎朝夫としています。

勤めていた職場でもしていたので、かれこれ20年以上です。

以前はCDをかけてしていましたのでなんか適当でした。

ここ1か月程は、youtubeの動画を見てしています。

体操のお姉さん達はまるでロボットのように正確にされます。

私はそれを見ていかに気を抜いていたかがわかりました。

今は丁寧にするようになり、4月に肩の骨を折ってから

イマイチ上りが悪かった肩がかなり上がるようになりました。

テレビのお姉さんが右を上げる時は

右を上げないといけないのに、

私はパソコンと向き合いいつも左をあげていたのです。

夫から「あなたは正しくやっているつもりやろ?」

と言われるまで気づけませんでした。

まるで子供だなあと自分でも可笑しく笑ってしまいました。

ラジオ体操、テレビのお姉さんみたいに

きちんとすればかなり効果があるようです。

2018年12月15日土曜日

宮彫り






先日諏訪神社に行き、

拝殿上の龍や左右の唐破風尻飾りのゾウ、

獅子の阿形と吽形を見てきました。

昨日は散歩コースの近所のお寺(福瑞寺)に行き、

お寺の本堂正面の上の宮彫りを見てみました。

するとびっくり諏訪神社と同じように正面には龍、

唐破風尻飾りはゾウと獅子の阿形、吽形でありました。

神社は鳥居があり、手水舎、拝殿があります。

お寺は門があり、鐘堂、本堂、方丈などです。

お寺と神社の建造物は名前は違いますが、よく似ています。

面白いなあと思いました。

2018年12月14日金曜日

光を受けて


夕方の散歩で出会ったコサギです。

夕日に輝いていました。

今夜は天気もよくふたご座流星群は

庭で先ほどバッチリ見れました。

まだふたご座が東の空に低いので、

もっと天空に上がってきてからバンバンと流れるのを

見たいと思っています。

諏訪神社界隈で





諏訪神社拝殿正面の上にある龍の彫り物です。

玉を持ちそれを取ろうと口を大きく開けた龍がいました。

屋根のてっぺんに突き出た柱の先端はハート型。

拝殿の屋根の下にある菊の御紋の下の彫り物は菊の花。

どれも透かし彫りで素晴らしいです。

神社に行ったら気をつけて宮彫りなど注意して見たら楽しいです。

見ているようで今まで何も見ていなかったと思いました。




西山神社には正月桜がちらほらと咲いていました。


春徳寺の中にはマリシテンの神社というものがあり、

ここの正面にはイノシシの彫り物がありました。

2018年12月13日木曜日

春徳寺(長崎市)





昨日の続き。

長崎市にある臨済宗建仁寺派の春徳寺です。

大村藩長崎領主の長崎甚左衛門もキリシタンでしたので、

住まいの桜町の地に長崎初の教会(1569年)

とセミナリオ(小神学校)コレジオ(大神学校)を建てました。

その後禁教令後の1651年、

この地に臨済宗の春徳寺が移転されました。

梵鐘はこの当時のものです。

古い瓦もすじ塀に残してありました。

大樹の楠も当時からあり、

仏教からキリスト教また仏教へと時代が動いた大変な時を

見ていたのではないかと思いました。

甚左衛門は禁教となりこの地を離れ、

最後は時津で亡くなったそうです。

奇しくも訪ねた12月12日は命日でした。

2018年12月12日水曜日

本経寺(大村市)





先日大村に行った時に日蓮宗の本経寺にも立ち寄りました。

日本最初のキリシタン大名であった大村純忠が亡くなり、

禁教令も出て次の代に日蓮宗に改宗し開山したお寺です。

古くて立派な建物、広い敷地のお寺で、

大村家の代々の異常に大きな墓石や五輪の塔などもあります。

キリシタン大名だった大村純忠はかなり狂信的だったらしく、

領民もキリシタンに改宗させ、南蛮貿易などのために

長崎港や茂木などイエズス会に寄進しました。

その後豊臣秀吉が九州を平定したので、

寄進されていた長崎は取り上げられました。

続く徳川幕府も長崎を幕府直轄の天領とし、鎖国を迎えても

長崎は日本で唯一の西洋文化の窓口でした。

450年ほど前に一寒村の漁港にすぎなかった大村藩長崎領の港を

家来の長崎甚左衛門に開かせた大村純忠。

寄進の良しあしではなく、

長崎の歴史を感じた本経寺訪問でした。

本経寺では、イチョウの黄葉、裸木のムクノ木、

大輪のピンクのツバキが見事でした。