トイレの窓にヤモリの子供がいました。
ヤモリは毒性はなくクモなど食べてくれる益虫で
家を守るからヤモリで縁起がいいものです。
以前は息子もいて夜にFMラジオをかけて食事していましたから
ヤモリは音楽を聴きにかよく居間のサッシに来ていました。
今は夫と2人の静かな食卓でヤモリは居間に来なくなりました。
ヤモリもニホンカナヘビ(トカゲ)も今がベビーラッシュの時期で
庭にもトカゲの赤ちゃんがうようよいます。
爬虫類であっても赤ちゃんはかわゆいです。
トイレの窓にヤモリの子供がいました。
ヤモリは毒性はなくクモなど食べてくれる益虫で
家を守るからヤモリで縁起がいいものです。
以前は息子もいて夜にFMラジオをかけて食事していましたから
ヤモリは音楽を聴きにかよく居間のサッシに来ていました。
今は夫と2人の静かな食卓でヤモリは居間に来なくなりました。
ヤモリもニホンカナヘビ(トカゲ)も今がベビーラッシュの時期で
庭にもトカゲの赤ちゃんがうようよいます。
爬虫類であっても赤ちゃんはかわゆいです。
あんなに暑かったのに今日は北風が吹いてとても爽やかな日でした。
季節は確実に移り変わっていっています。
この夏のあまりの暑さと互いのタイミングが合わなかった友人との
今日は3か月ぶりのお出会いの日でした。
大浦で待ち合わせランチして祈りの三角ゾーン(お寺、教会、神社)の
大浦諏訪神社にお詣りに行きました。
吹き抜ける心地よい風を感じゆったりし
お茶しにANAクラウンプラザに行きましたが喫茶部は締まっていました。
以前はあんなに賑わっていたホテルもコロナの影響が計り知れず
地下の飲食店も出店も閉鎖され閑散としていました。
寂しい限りです。
それで路面電車で中央橋まで出ていつも寄るお店で日本酒で乾杯。
神社に行ったので私達ではなく
ついてきた龍神様が飲みたがっているからと、、。
そこのお店は月替わりで全国日本酒巡りをしていて
今月は滋賀県のお酒でした。
お気楽な私達に相応しい「気楽長」というお酒を選びました。
すっきりしたとても美味しい純米酒でした。
互いに元気で楽しい時を過ごせて有難い嬉しい日となりました。
ついてきた龍神様もさぞ満足されたことでしょう。
友人のすすめで映画「SABAKAN」を見てきました。
1986年の夏の小学生の冒険と友情の物語で舞台は長崎の長与町。
昭和の郷愁を随所にちりばめてあり長崎弁が暖かく
笑って泣いた感動の映画でした。
監督の金沢知樹氏は長与町のご出身だそうで、
なるほどと言えるほど長崎人の機微を上手に表現されていました。
夏休みで子供の映画なので子供が多いかと思いきや
見に来ているのは
その当時子育てをしていたであろう熟年夫婦でいっぱいでした。
映画「SABAKN」おすすめです。
3年前、コロナ対策として本田健氏のオンラインセミナーを参考に
食品、水、薬、日用品、
銀行封鎖も起こるやもしれぬと現金など用意しました。
幸い日本では外出制限もなく買い物も自由に行けたし、
品物も豊富にあり銀行も問題なくて良かったです。
大概の物は使用し無くなっていましたが、
その時の非常食の缶詰が2ケースそのままに残っていました。
見ると1ケースは7月に賞味期限切れ、
もう1ケースも9月に期限が来ます。
賞味期限切れてもかえって熟成し美味しいはずと
食べてみたら問題なく美味しかったです。
だから当分はいわしの缶詰を食べないといけません。
コロナではなくロシアの戦争で食糧危機、
エネルギー危機、物価高でインフレになる可能性はあります。
今までに何度も災難に備え食料品など備蓄してきましたが、
有難い事にその都度、事なきを得て助かって来ました。
また準備しないといけないとは思うのですが、
なんかめんどくさくなってきました。
どうしたものでしょうか?
居間の隅に葉っぱが似ているのでいいかなと
幸福の木マッサンとレモンライム、オモトを寄せて置いています。
適切に置く所がないのでそうしてたのですが、
寄せ植えと同じように観葉植物で「寄せ鉢」を作るのがあったんです。
知らないでしてたのが良かったのです。
NHKの「趣味の園芸」の以前ナビゲーターで
当時園芸王子と言われていた三上真史氏が
今は「趣味は園芸」いうYouTubeチャンネルをされています。
三上さんの笑顔につられ園芸の勉強にもなるのでたまに見ます。
そこで知った観葉植物の「寄せ鉢」でした。
それにしても三上さん、
王子の時と比べたらより専門的になられ
自信にあふれ益々素敵になってらっしゃいます。
昨日は久しぶりにアゲハが来てくれました。
例年なら蝶も色んな種類が来るのですがアゲハしか来ませんでした。
昨日も暑く孫たちは来るなりプールです。
乙姫はまだ慣れなくて恐る恐る入りいつもの笑顔は消え渋い顔。
孫3人賑やかでジジババはこの暑さはこたえます。
でも孫たちの笑顔に癒されその時は苦にもならず楽しんでいます。
まだまだ何とか元気で私達もお役に立てるから有難いことです。
そんな中、新幹線かもめの試乗会に応募していたら当たりました。
自分で肥前山口まで行き
それからはJRが用意したシャトルバスで武雄温泉駅に行き
武雄温泉駅から長崎駅までの試乗ということになります。
博多までは行く機会はけっこうあるので
わざわざ試乗会に行かなくてもいいのですが
新たなスタートを祈念し乗ろうと思っています。
孫と行くつもりでしたが、
長男も応募していて彼も当たったので私は夫と行く予定です。
長崎はどんどん変わっていっています。
9月23日には新幹線が開通し
来年1月には長崎市役所が新しい庁舎に移ります。
人口は全国で5番目に転出が多く人口減になっていますが、
新幹線も来るので長崎もいいように発展していってほしいです。
でも夕方には澄んで流れも朝よりは静かでした。
しかし川の流れはまだまだ早くアオサギしかいませんでした。
川も心と一緒で怒りや悲しみなど腹が立つ事が起きると
音を立て激しい泥水の汚れた荒れた川になります。
でもそれも時間と共に落ち着いてきて
水は澄み穏やかな優しい川になります。
この激しい流れがあって川底の淀みなども流され浄化されます。
川沿いを歩くと不思議に川の水が様々な思い込みや囚われなどを
流してくれ心洗われたような氣になります。
10年この川沿いをほぼ毎日のように歩き
自分の機嫌を何とか上手に取っているんです。
八郎川LOVEなんです。
東北、北海道は本来は梅雨がなく
雨は少ないのに大変な事になっています。
緊急地震速報もここ1か月出ない日はないくらい雨の前線と同じように
東北は宮城、青森、北海道は宗谷、十勝、能登、静岡、沖縄など出ています。
お盆が過ぎ2022年後半がスタートしましたが、
これからどんな時を迎えようとしているのでしょうか。
大きな地震が来るかも知れないと聞きます。
恐れていてもどうしようもなく今を生きることしかありません。
どの時代の人たちも富士山が爆発しても大きな地震があっても
戦火の中でもどうにかして生き延びて
命を今につないでこられてきたのですから。
昔はお盆過ぎたら朝晩はぐっと涼しくなり秋風がふき
長袖を着て出かけていました。
もう何年も今年こそは猛暑だと言い続けているような氣がします。
だんだんとひどくなる異常気象です。
爽やかな秋は今年は来るのでしょうか?
何があってもおかしくない時代、
せめて互いに仲良く楽しくうれしうれし
有難い有難いと暮らしていきたいものです。
実家の母はお盆には必ずほおずきを用意して
千日紅と一緒に盆花として飾り、墓にも供えていました。
だから私もお盆の墓参りにはホオズキ、千日紅を持っていきます。
母はお盆には盆棚に茅で編んだこもを敷き、果物、干菓子、栗、
ご飯、お茶などは朝、昼、夕と供えとても忙く動いていました。
それを3日分取って置き、15日夜にはみんなこもに包み
精霊流しをするために父が
花を添えて大波止の集積所まで持っていっていました。
父が亡くなってからは夫がしてくれていました。
私はお盆は迎え火の提灯を出し墓参りをすることしかしませんが、
母が家に来たらさぞ残念がるだろうなあと思います。
お盆は亡くなったご先祖様など家に帰ってくると言います。
叶うことならば母に会いお詫びと感謝をのべたいなあと思います。
この年になり母に対し感じる事がたくさんあります。
先日は母の夢を見ました。
いつも母を批判ばかりしていた親不幸な娘だったのに
夢の中で優しく母をほめている私がいました。
今の私になるまで自由に忍耐強く育み育てたくれた父母。
母の事を思い、
今夜はお盆の御仏飯を供えようと思いました。
今日は茂木にある十一面観音様のお祭りで8月10日にお参りすると
千回お参りしたのと同じ功徳があるという千日様でした。
狭いお堂に次々にお参りの人が来ていました。
それは夜まで続くそうです。
十一面観音様にお参りすると
10種類の現世利益と4種類の来世での果報があるそうです。
優しいお顔の観音様は慈と非をたたえておられます。
ここに鎮座して360年以上ずっと
戦争や災難などの人々の悲しみや苦しみ
喜び事などをたくさん見てこられ
共に悲しみ、人々に慈愛の光を送って下さっています。
観音様はいくら現世利益とはいえすがりに行く所ではなくて
人の中にもある崇高な慈悲の思いなどを表わされている姿に
あこがれて皆さん来られているのじゃないかと思います。
だから家に帰ったらその姿を思い浮かべ
心尽くして過ごそうと思うのではないでしょうか?
今日も暑い暑い日でしたが
初めて1日で千日分といういいお参りができました。
無垢なる市民が大虐殺された日でもあります。
父は爆心地から2キロの所に住んでいて祖母は被爆し12日目に亡くなり
父は防空壕に入り生き延びる事ができました。
でも髪は抜け下痢など続いていたそうです。
母は直接の被爆はしませんでしたが、
爆心地の所の兵器工場に妹が行っていて被爆直後に毎日その妹を探しに行き
放射能をたくさんあびた入所被爆者です。
母の妹は被爆後すぐに救援の列車が来て大村の収容所に連れていかれ
そこで療養していて連絡があり1月程して帰ってきたそうです。
父は昭和17年に激戦地のガダルカナルで僅かに生き残った一人として
また日本に帰ってから原爆にもあい、
そこでも生かされて母と出会い結婚し私は生まれました。
私は両親被爆者ですから原爆2世ということになります。
だから放射線研究所で4年に1回はモルモットとして検査を受けます。
幸い健康で今のところ問題はなく有難い事だと思っています。
今日は、今こうして自分があることへの感動や感謝、
両親をはじめご先祖様への感謝、
子も孫もいて生命の不思議を感じる日でもあります。
11時2分の黙とうでは原爆で犠牲のなられた方々への鎮魂と
今ある命への感謝に手を合わせました。
8月8日は地球とシリウス、太陽が一直線に並び
地球へ高次元のエネルギーが降り注ぐ
ライオンズゲートが最大限に開く日と言われています。
太陽のエネルギーも半端なく真夏の一番暑い時期と重なります。
7月26日から8月12日までですから一番しんどい時です。
今年は早くから矢上神社でこの日を迎えようと決めていました。
鳥居を1歩くぐると小さな森って感じでセミ時雨の中、
風がたって氣がとてもよく「あー来て良かったなあ」と。
ご神木のクスノキから青空が見え、ムクロジ、サルナシ、
タブノキの大樹からは大地から立ち上がるエネルギー、
空からは宇宙のエネルギーが降り注いでいるかのように感じました。
その中にいるとエネルギーがチャージされていくようでした。
大きな事はできませんが今を大切にし、
出来ることはこつこつと努力し丁寧に生き
誰かの何かの為になるようにしていかないとと思いました。
1歳の乙姫を朝から預かりました。
午前中は昼まで始終満面の笑顔でご飯もよく食べて上機嫌でした。
歌を聴いて手でリズムを取り踊るようなしぐさをしたり
いないいないばあとカーテンで隠れたりして遊びました。
でもその後、お転婆娘で台所で危ない事をしだしたので
私が注意し居間に抱きかかえて連れて来ると
床に突っ伏して大泣きし泣き止みません。
初めて乙姫の激しい姿を見ました。
私にはいつも笑顔なのに抱こうとしても来ません。
今度は夫が抱き落ち着き眠たかったのか寝入ってしまいました。
十分に昼寝をしたら機嫌は直っていてまた笑顔をふりまいていました。
おじちゃんである次男が来ていて、
チェロを弾いたら明るい曲はいいのですが、
「ふるさと」を弾くと泣きました。
夕方には長男一家も帰って来て
夕食は9人で食卓を囲み今日も充実した忙しい日曜日でした。
水を張ったパットにバウンドケーキ型にクリームチーズ、生クリーム、
ヨーグルト、レモン、粉、桃の缶詰を入れてオーブンで焼きました。
濃厚で美味しいケーキができました。
でも長崎人はシュガーロードの影響もあってか甘いのが好きで
私のは甘さ控えめなので次はもっと砂糖使ってと
言われる事があります。
明日は長男一家、次男、姉など9人での夕食です。
このお菓子、氣にいってもらえたらいいのですが、、。