2022年8月9日火曜日

77回長崎原爆の日に


 今日は原爆投下から77年目の長崎原爆の日でした。

無垢なる市民が大虐殺された日でもあります。

父は爆心地から2キロの所に住んでいて祖母は被爆し12日目に亡くなり

父は防空壕に入り生き延びる事ができました。

でも髪は抜け下痢など続いていたそうです。

母は直接の被爆はしませんでしたが、

爆心地の所の兵器工場に妹が行っていて被爆直後に毎日その妹を探しに行き

放射能をたくさんあびた入所被爆者です。

母の妹は被爆後すぐに救援の列車が来て大村の収容所に連れていかれ

そこで療養していて連絡があり1月程して帰ってきたそうです。

父は昭和17年に激戦地のガダルカナルで僅かに生き残った一人として

また日本に帰ってから原爆にもあい、

そこでも生かされて母と出会い結婚し私は生まれました。

私は両親被爆者ですから原爆2世ということになります。

だから放射線研究所で4年に1回はモルモットとして検査を受けます。

幸い健康で今のところ問題はなく有難い事だと思っています。

今日は、今こうして自分があることへの感動や感謝、

両親をはじめご先祖様への感謝、

子も孫もいて生命の不思議を感じる日でもあります。

11時2分の黙とうでは原爆で犠牲のなられた方々への鎮魂と

今ある命への感謝に手を合わせました。

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