地域の神社そばにある戦没者の慰霊塔です。
殉国慰霊塔と彫られ昭和30年にでき、
日露戦争から太平洋戦争戦没者の
186柱の名前が書かれ整備され花も供えられていました。
植木の里らしく日本庭園風に造られ
植木もきれいに刈られ管理が行き届いています。
NHKテレビで戦後75年たち慰霊塔を守る人が
もう孫の世代になりいなくなっていることを知りました。
また「エール」で軍歌など流れ、
お彼岸の最後の日に初めて手を合わせてきました。
私の父は激戦地のガダルカナル島で生き延びて帰って来て、
父の弟はわずか17歳で玉砕した硫黄島で戦死しています。
お参りした夜にそんな事が脳裏に浮かび
何か不思議な気持ちになりました。
硫黄島について何もしらなかったので
アメリカ映画の「硫黄島からの手紙」
「父親たちの星条旗」を見ました。
日本側、アメリカ側からとよく描いた映画でした。
17歳で戦死してしまってさぞ無念だったであろう父の弟。
若い弟を亡くした父の悲しみなどを思いました。
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