川沿いの紫陽花は梅雨の頃咲いて秋は葉が枯れていきます。
でもこの白い紫陽花だけは霜が降りるまで次々に咲くのです。
人生も年老いたからだめではなく、条件さえ整えば
いつでも花咲く可能性があるよと教えてくれているようです。
鳥はいつものカワセミ君にチュウサギでした。
晩秋なのに小春日和の暖かな日で鳥たちも気持ちよさそうでした。
川沿いの紫陽花は梅雨の頃咲いて秋は葉が枯れていきます。
でもこの白い紫陽花だけは霜が降りるまで次々に咲くのです。
人生も年老いたからだめではなく、条件さえ整えば
いつでも花咲く可能性があるよと教えてくれているようです。
鳥はいつものカワセミ君にチュウサギでした。
晩秋なのに小春日和の暖かな日で鳥たちも気持ちよさそうでした。
今日は長崎市北浦町にある三浦園芸に
友人に連れて行ってもらいシクラメンを買ってきました。
今の時期だけの直売所でハウスの中に
2万株30種類以上のシクラメンがあります。
あまりの多さに目移りしスタッフの方にアドバイスをもらいながら
プレゼントにするものや自分用を選んできました。
高山寺
八郎川沿いを歩きましたが鳥はあまりおらず木の実を撮りました。
葉を落とした裸木のセンダン、ナンキンハゼには実がびっちり。
センダンの実は俳句では金鈴子(キンレイシ)と綺麗な呼び方で
実の核はお数珠の玉になり中の実は毒にも薬にもなるそうです。
車輪梅(シャリンバイ)は春に梅に似た花を車輪のように咲かせます。
その実はブルーベリーのようですが固く食べれません。
染料の原料になるそうです。
赤くてひときわ美しいピラカンサス。
常盤山査子とも言われますが刺があります。
これも食べれませんが鳥は春には毒が抜けて食べるそうです。
これらの実を集めて
クリスマスリースを作ったらいいなあと思いました。
2006年伊勢の二見が浦
昨日は長男一家、次男、夫の姉が来て9人での夕食でした。
洗い物をしたがる孫たちは「汚いお皿ない?」と聞き
私達のお皿を全部下げて嬉々として兄妹で全部洗ってくれました。
洗ってくれた後は
2人とも服は濡れ、着替えなければなりませんでしたが、、。
親の姿を見ていないようでよく見ていて丁寧に洗っていました。
もちろん3歳児の仕事ですから私がまた洗い直しをしましたが、
下洗いの後だったのでいつもより簡単でした。
久々に会った孫たちはおっしこが言えるようになっていたり
髪を切ってやる時もおりこうだったり、
片付けもできるようになったりとだいぶ成長していました。
今日出会った野鳥たちです。
ムクドリは通常は群れているのですが一羽で行動していました。
メジロは繁殖期は花の蜜を好みツバキ、梅、桜などの
花の時期にペアーでよく見かけます。
今の時期は非繁殖期なのであまり見かけず珍しかったです。
シジュウカラは年中いつでも見かけますが、
これも非繁殖期なので群れていました。
小鳥も人間と一緒で学生の頃は皆と群れていて
さえずりあって賑やかにおしゃべりしています。
でも恋人ができると2人の世界になるんです。
ススキの群落が揺れて秋深しって感じです。
波の音、お聴き下さい。
着物は着付けもできないし
小物も年相応なのはないのでもう着ません。
だから着物はリフォームして洋服にしています。
これは地味な大島ですが縁ある方が
私にあうようにとワンピースにして下さいました。
一昨年、自分でといて布にし洗濯してお願いしてたら、
その方がデザインを決めて裁断したまま
突然病気が悪化し亡くなってしまわれました。
どうしたものかなと思っていたら、娘さんから連絡があり
私が縫って仕上げますといわれ時間は経ちましたが昨年届きました。
聞けば娘さんは服など縫った事がないのにお母さんの思いを受けて
挑戦し手縫いで仕上げてくれました。
そしてお母さんが以前作っていたものだからと
紋付の羽織の袖を取った長い今風の羽織物をいただきました。
高台の風頭の墓より街の風景
大音寺本殿の阿弥陀如来様今日は母方の祖父の33回忌と叔母の7回忌の法要を
大音寺でしていただきました。
法要の前には
風頭の高台にある墓参りをしお寺に降りて行きました。
もう母の実家は苗字を継ぐ人がおらず絶家となり、
ただ1人地元に残っている私が墓守をしています。
墓守だから寺の年間行事、墓の管理、法事の施主などしています。
絶家にはなりましたが、
孫の私をはじめ多くの子孫は命をつないでいっています。
幸い今日は弟一家、息子も来てくれました。
今のところ私は元気で墓守は苦にはならず、
ご先祖様のお蔭様を感じて続けております。
でも将来の事を考えたら
いずれ墓じまいなど考えないといけません。
息子たちに負担はかけたくないしできないだろうから。
私達の墓もどうするかもまだ決めかねています。
墓守は今の時代、悩ましい問題です。
安納芋お菓子シリーズで名付けて「好いたポテト」です。
芋を蒸してつぶし砂糖、バター、デーツシロップで練ります。
真ん中には剥き栗でキクの花のようにしました。
味はスイートポテト風なきんとんで「好いたポテト」。
バターが入るのでスイーツポテト風の味になります。
砂糖少な目に作りましたが芋もデーツも甘いので
美味しくできました。
作り方は簡単で芋好きな方にはおススメです。
昨年の春、コロナで外国ではロックダウンになったりし、
日本もなれば買い物にも行けないだろうからと
缶詰、レトルト品など色々なものを備蓄しました。
幸いそんなことにはなりませんでした。
だからコロナが落ち着いた今、期限も来ることだし
その時から備蓄したものを消費しています。
昨日は備蓄品だったホットケーキミックスと安納芋で
バウンドケーキらしきものを作りました。
朝食になります。
買い物にも行け災難もなく備蓄品を使わないで良かったのです。
暫くは備蓄品パーティ―で缶詰、スープ、
レトルトカレーなどを消費しないといけません。
いわしの缶詰など質素な暮らしがいいのかも。
笑って備蓄品使えて良かったです。
地域の田んぼに稲刈りの後ひこばえが出て
それに稲穂までついていました。
なんてたくましいのでしょうか?
昨日、金刀比羅さんの事を書いたら、友人がラジオで聞いたと
ジョン万次郎が日本に着いて
長崎奉行所で取り調べを受けている間に
金刀比羅さんにも来たらしいよとメールがありました。
長崎に来た事も金刀比羅さんに来た事も知りませんでした。
さっそく調べてみましたら、
14歳で漂流しアメリカの捕鯨船に助けられその後24歳までアメリカで
英語、数学、測量、航海術、造船技術などの教育を受けて帰って来ています。
戻ってきてから土佐藩に引き渡されるまでの9か月間、
長崎で取り調べなど受けて、その間に気分転換に金刀比羅さんには3回、
本連寺、聖福寺、福さい寺、松の森神社、清水寺、
伊勢宮、大音寺、大徳寺、祇園社(八坂神社)など行っているようです。
ジョン万次郎の伝記を以前読みましたが長崎の事は記憶にありません。
幕末から明治にかけて日本の近代化に貢献し
日米の懸け橋となったジョン万次郎。
そんな方が私の縁あるお寺や神社に行かれていたなんて嬉しいです。