「八月や水を一杯くれないか」 和子
友人が長崎原爆俳句大会で読んだ句です。
74年前の今日多くの無辜なる命が原爆で失われました。
水を求めて亡くなった方々も多かったでしょう。
私の父は爆心地より2キロの自宅で被爆し、
家は焼け祖母は亡くなりました。
父は幸いにも防空壕にいて助かったそうです。
でも髪は抜け下痢は続いたといいます。
母は大橋の兵器工場にいた妹を探しに
爆心地に毎日通ったそうです。
母はたぶんその時にたくさんの放射能をあび、
後年は多重癌で苦しみました。
父は戦争でガタルカナル島に行き昭和17年に
多くの死傷者がでる中かろうじて生きて帰った者です。
そしてまた昭和20年の原爆にもあっています。
そんな中、父母が生き延びて出会い結婚し私があります。
原爆で亡くなられた多くの方々の冥福を祈ると共に
尊い自分の人生をも大切に生きないとと
思う原爆の日の朝です。
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