2022年8月14日日曜日

ホオズキ(鬼灯)

実家の母はお盆には必ずほおずきを用意して

千日紅と一緒に盆花として飾り、墓にも供えていました。

だから私もお盆の墓参りにはホオズキ、千日紅を持っていきます。

母はお盆には盆棚に茅で編んだこもを敷き、果物、干菓子、栗、

ご飯、お茶などは朝、昼、夕と供えとても忙く動いていました。

それを3日分取って置き、15日夜にはみんなこもに包み

精霊流しをするために父が

花を添えて大波止の集積所まで持っていっていました。

父が亡くなってからは夫がしてくれていました。

私はお盆は迎え火の提灯を出し墓参りをすることしかしませんが、

母が家に来たらさぞ残念がるだろうなあと思います。

お盆は亡くなったご先祖様など家に帰ってくると言います。

叶うことならば母に会いお詫びと感謝をのべたいなあと思います。

この年になり母に対し感じる事がたくさんあります。

先日は母の夢を見ました。

いつも母を批判ばかりしていた親不幸な娘だったのに

夢の中で優しく母をほめている私がいました。

今の私になるまで自由に忍耐強く育み育てたくれた父母。

母の事を思い、

今夜はお盆の御仏飯を供えようと思いました。


2022年8月13日土曜日

時は流れ

     2019年8月13日
  2022年8月11日


今朝は3年前の過去記事が上がってきていました。

孫と一緒に長男、次男と墓参りに行き、帰りに食事した時のものです。

その当時はTシャツは蒸気機関車が好きでトーマスのヒロでした。

先日もやはり蒸気機関車のやまぐち号のTシャツでした。

ずっと変わらず電車が好きで益々深まっていっています。

家に着いて「本読んであげるよ、もっておいで」と言うと

長男の幼い時の長崎の路面電車の本でした。

6月に私と一緒に路面電車に

乗りに行った時の浦上車庫なども出てきて大満足でした。

「将来何になりたいの」と聞くと「かもめの運転手さん」と答えます。

JR新幹線かもめの試乗会が9月に行われます。

lineで応募しています。

運転手さんになりたい孫の為に当たるのいいのですが、

8月中旬に結果発表がある予定です。

2022年8月12日金曜日

満月



みずがめ座満月、見れないと思っていましたが見れました。

 月のまわりには薄っすらと赤い輪っかが出ています。

これが出ると明日は雨か天気は下り坂といえます。

みずがめ座は個人の尊重や未来志向を司ると言われています。

お気楽ではなく地に足をつけた生活をしないといけません。

浄化のエネルギーいっぱいの満月、

月の光を浴びて石ちゃん達と一緒に私も心身共に浄化します。

2022年8月11日木曜日

月を見よう

明日の日中が満月ですが、今夜も美しい満月が見れます。

長崎は明日は雨の予報ですので今夜が見頃かなと。

月あかりでできた彩雲もきれいです。

お盆を前に



お盆を前に筑後町の実家の墓参りをしました。

暑い中、長い階段を登らないといけません。

もうすぐ5歳の孫は私より元気にすいすいと上り

いつのまにか体力がついていてびっくりしました。

花入れの水を入れてもくれました。

ご先祖様は私が行くよりも子孫が来てくれて

さぞかし喜んで下さったのではないかと思います。

帰りは電車好きの孫のために長崎駅により電車を見たり

段ボールでできた新型かもめで遊んだりしてきました。

2か所のお盆の墓参り無事にすみほっとしました。

2022年8月10日水曜日

茂木 十一面観音千日様




今日は茂木にある十一面観音様のお祭りで8月10日にお参りすると

千回お参りしたのと同じ功徳があるという千日様でした。

狭いお堂に次々にお参りの人が来ていました。

それは夜まで続くそうです。

十一面観音様にお参りすると

10種類の現世利益と4種類の来世での果報があるそうです。

優しいお顔の観音様は慈と非をたたえておられます。

ここに鎮座して360年以上ずっと

戦争や災難などの人々の悲しみや苦しみ

喜び事などをたくさん見てこられ

共に悲しみ、人々に慈愛の光を送って下さっています。

観音様はいくら現世利益とはいえすがりに行く所ではなくて

人の中にもある崇高な慈悲の思いなどを表わされている姿に

あこがれて皆さん来られているのじゃないかと思います。

だから家に帰ったらその姿を思い浮かべ

心尽くして過ごそうと思うのではないでしょうか?

今日も暑い暑い日でしたが

初めて1日で千日分といういいお参りができました。


2022年8月9日火曜日

77回長崎原爆の日に


 今日は原爆投下から77年目の長崎原爆の日でした。

無垢なる市民が大虐殺された日でもあります。

父は爆心地から2キロの所に住んでいて祖母は被爆し12日目に亡くなり

父は防空壕に入り生き延びる事ができました。

でも髪は抜け下痢など続いていたそうです。

母は直接の被爆はしませんでしたが、

爆心地の所の兵器工場に妹が行っていて被爆直後に毎日その妹を探しに行き

放射能をたくさんあびた入所被爆者です。

母の妹は被爆後すぐに救援の列車が来て大村の収容所に連れていかれ

そこで療養していて連絡があり1月程して帰ってきたそうです。

父は昭和17年に激戦地のガダルカナルで僅かに生き残った一人として

また日本に帰ってから原爆にもあい、

そこでも生かされて母と出会い結婚し私は生まれました。

私は両親被爆者ですから原爆2世ということになります。

だから放射線研究所で4年に1回はモルモットとして検査を受けます。

幸い健康で今のところ問題はなく有難い事だと思っています。

今日は、今こうして自分があることへの感動や感謝、

両親をはじめご先祖様への感謝、

子も孫もいて生命の不思議を感じる日でもあります。

11時2分の黙とうでは原爆で犠牲のなられた方々への鎮魂と

今ある命への感謝に手を合わせました。