2020年10月10日土曜日

カモの落穂拾い

カモが稲刈りの終わった田んぼで

落ちている米を食べていました。

まるでミレーの落穂拾いみたいでした。

私が近づいても逃げもせず必死で米を食べていました。

以前撮った掛け干し米を

見上げて食べている写真は絵になりましたが、

今回は絵としては面白くありません。

スズメもカモもキジも米が大好きです。

今度はキジが食べている所に遭遇したいものです。

2020年10月9日金曜日

素流水実験

  10月9日開けたところ


    10月9日の状態


   9月25日作ったところ

素流水に果物をつけていたら発酵すると聞きました。

「ほんまかいな?」

好奇心の強い私は自分の目で確かめないとと

2週間前に瓶に素流水に梨の半分を切って入れていました。

常温で日のささない台所の棚に置いていました。

途中プチプチ、シュートと発酵の音はしていました。

今日どうなっているかなと開けてみましたら、

梨は上に浮いてプチプチとまだ発酵は続いていました。

梨を食べて水も飲んでみました。

梨も美味しくて、

水も甘酸っぱくて発酵しているのでお酒みたいになり

少しふらっとしました。

どういう原理でこうなるかわかりませんが、

腐りもせず不思議です。

ただ普通の水にも梨を入れて

比較すればよかったなあと悔やまれます。

普通の水でも発酵するかも知れませんから、、。

実験しなおしです。


2020年10月8日木曜日

白木峰コスモス




台風の影響で白木峰高原は強い風が吹いていて

樹々は大揺れで怖いくらいでした。

それでもコスモスは

上手に風を受けて見事に咲いていました。

白木峰の下の不知火橋や干拓地のフラワー園のコスモスは

コロナの影響で人がそろい植えるのが無理だったのか

皆無で草が茂り草原になっていました。

梅雨の長雨にも夏の猛暑にも耐えて

多くの人の手が入り

咲いてくれているコスモスを今年も見れて幸せでした。

2020年10月7日水曜日

ふるさと




毎日秋らしい気持ちのいい日が続いています。

最近めっきり少なくなったススキが揺れていました。

今年は長雨で9月に入ってからも大雨が降って

八郎川は土砂が溜まり風景が変わってしまいましたが、

水質は格段によくなって澄んできたように感じます。

汚い淀みを押し流したのでしょうか?

澄んだ川のそばを歩くだけで

心が洗われるような氣になります。

夕陽で照らされる山や川はたまりません。

この地に住んで35年。

もうすっかりふるさとになりました。

2020年10月6日火曜日

茂木へ





友人と茂木の11面観音様に行って来ました。

コロナでデリケートになっていた友と会うのは1年ぶりでした。

何処に行こうかと悩みましたが、

ふと彼女は行った事がないだろうから

茂木の観音様がいいかなと、、。

彼女は先月お母さまを亡くしたばかりで、

美しい優しいまなざしの観音様を見て

母親みたいと言っていました。

彼女のお母さまは95歳で天寿を全うされました。

天気もよくて歓迎のミサゴもたくさん寄ってきたし、

観音堂では台風で葉を落とした後に桜が咲いていました。

帰りに「一口香本家」にも寄りました。

そこには小さな可愛いい干菓子の詰め合わせがありました。

明日から例年ならば諏訪神社のくんちですが

コロナで今年はないので

干菓子の祝い菓子を買ってきて神棚に供えました。

2020年10月5日月曜日

穏やかな日に



    カモ

    アオサギ

秋らしい日が続いています。

読書の秋、食欲の秋、芸術の秋ですが、

読みたい本は何冊も重ねてはいますが進みません。

演奏会も美術館もコロナで自粛が多いし、

いつもの秋とは違います。

でも爽やかな日に花も鳥も輝いて綺麗です。

特別な事はありませんが穏やかな秋の日に感謝です。

2020年10月4日日曜日

戦没者の慰霊塔



地域の神社そばにある戦没者の慰霊塔です。

殉国慰霊塔と彫られ昭和30年にでき、

日露戦争から太平洋戦争戦没者の

186柱の名前が書かれ整備され花も供えられていました。

植木の里らしく日本庭園風に造られ

植木もきれいに刈られ管理が行き届いています。

NHKテレビで戦後75年たち慰霊塔を守る人が

もう孫の世代になりいなくなっていることを知りました。

また「エール」で軍歌など流れ、

お彼岸の最後の日に初めて手を合わせてきました。

私の父は激戦地のガダルカナル島で生き延びて帰って来て、

父の弟はわずか17歳で玉砕した硫黄島で戦死しています。

お参りした夜にそんな事が脳裏に浮かび

何か不思議な気持ちになりました。

硫黄島について何もしらなかったので

アメリカ映画の「硫黄島からの手紙」

「父親たちの星条旗」を見ました。

日本側、アメリカ側からとよく描いた映画でした。

17歳で戦死してしまってさぞ無念だったであろう父の弟。

若い弟を亡くした父の悲しみなどを思いました。