2025年9月22日月曜日

懐かしい人の絵

けいこさんの絵

麹カレー

諫早天満町にある「Dacha68」のカフェにランチに連れていってもらいました。

乳製品、動物性のもの添加物は一切使用してない

まろやかな麹カレーをいただきました。

お店は天井が張ってなくてむき出しになっていて

調度品や絵も品よく感じのいい空間でした。

壁には髪をなびかせる女性で中心の渦の中には龍の顔、

その周りは花園です。

写真では上手く撮れませんでしたが

素敵な絵でずっと見ていたいと思いました。

この絵、たぶん私の知っている方の絵ではないかと聞くと

やはりかつて子供達がお世話になった方の絵でした。

懐かしい方の絵に出会え7年ぶり位に会った方とは話もはずみ

素敵な日でした。

2025年9月21日日曜日

創成館高校(諫早市貝津町)





今日は諫早の貝津にある創生館高校の近くに用事があり

時間があったので美しいレンガの建物に惹かれ高校に寄りました。

創生館高校は野球で甲子園に行ったりサッカー、柔道なども強くて有名です。

今日はサッカー部が円陣を組み声を出す若人の声が何とも良かったです。

そして吹奏楽部の教室からはフルートなどの楽器の音が聞こえてきました。

息子の友人がかつてこの高校の吹奏楽部に入っていた事を思い出し

もうこの世にはいない彼を思い胸がキュンとなりました。

またアニメ「青のオーケストラ」海幕高校の生徒たちとも重なり、

音楽にかける青春を色々と想像して秋風に吹かれていました。

高台にあり気持ち良く色んな部活の子供達が今日も来て練習していて

こちらまでエネルギーをもらえた感じがしました。

2025年9月20日土曜日

彼岸の入り

彼岸花

                ローゼルの花

今日は彼岸の入りで23日が中日で前後3日間で彼岸は26日までです。

暑さ寒さも彼岸までといいますが本当に

30℃を超える日はあっても最低気温が25℃以下になり朝夕涼しく感じます。

今年の猛暑は特別だったので彼岸が来るとほっとします。

庭にローゼルが初めて咲き彼岸花の花芽も何本も上がってきていました。

植物は季節をよく知っている知的生命体でビックリです。

秋分の日と彼岸の中日は同じ日で

昼と夜の時間が同じで太陽は真西に沈みます。

そのせいか昔の人はあの世とこの世が一番近くなると信じ

亡くなった方たちと繋がるからと彼岸には

今に至るまで墓参りやお寺での供養が行われています。

私もおはぎ作ったり墓参りに行ったりしてお彼岸過ごそうと思っています。


2025年9月18日木曜日

針尾で

 

長男と佐世保に行った帰りに針尾で

大村湾から西海橋の方の海に流れる瀬戸を見に行きました。

狭いコンクリート壁の間を流れる水、

もっとダイナミックかなと思いましたが今日のはおとなしかったです。

西海橋まで行って針尾瀬戸を見たかったなあ。

2025年9月17日水曜日

朝のルーチン

 



青色のアサガオがやっと咲き出しました。

朝一番にする事はまずは1階の全部のサッシを開けて風を通すことです。

氣を入れ替える事から朝のルーチンは始まります。

まあその前に布団の中でまどろんだ状態でも全細胞さん、心臓などの内臓、

手、足、脳、目、耳、鼻、口などに手を当てて感謝の言葉を伝えます。

朝カーテンを開けて花を見るのは喜びです。

サッシは開けたままで片足立ちなどの体幹を鍛える体操をします。

その後に自分で決めたルーチンが10個ほどあり2時間はかかります。

一つ一つの時間は短いのですがもう習慣になっていて続いています。

この24年でこれはいいなあと思う事が少しづつ増えて今に至ります。

たまにさぼりたいなあと思ったり朝早くに出かける時は時間がなく

2つ3つは省略することもありますがしないという選択はありません。

朝のルーチンが終わったら朝ドラ「あんぱん」を見て朝食です。

そんな習慣があっての今があり

よくまあ続いてきたなあと我ながら感心しています。

2025年9月16日火曜日

暑さに負けず


春に買った小さかったベビー苗のラグランジェアが

この夏の暑さに耐えて4倍位大きくなりました。

種類の違う2鉢とも元気です。

葉が普通のアジサイより4分の1と小さいので

水分蒸散が少なく半日日陰の所で夏を越せました。

普通アジサイは一枝に1個の花が咲きますが、

ラグランジェアは枝に6個の側芽がついてそれに花がつき

それぞれの枝が花いっぱいになるのです。

だから蘭用の曲がる支柱を買ってきて枝を広げました。

今年の異常な暑さでバラは葉を落とし

大きくなっていた沈丁花は枯れてしまいました。

そんな中でこの子たちはスクスクと育っていて嬉しいです。

夏の管理が一番難しいと思っていたのでほっとしています。

まあ秋、冬も大切で氣は抜けませんが、、。

「ありがとう、大好きだよ」と声かけもしていこうと思いました。

2025年9月15日月曜日

敬老の日に



蒸し暑く残暑が厳しい日々ですが植物も昆虫も秋を知ってか

庭にはオオスカシバが来てコスモスや秋明菊が咲き出しました。

今日は敬老の日で

長年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛し長寿を祝う日で

また老人が自らの生活の向上に努める意欲を高める日だそうです。

私が勤めていた特別養護老人ホームでは

30年以上前は敬老の日は特別な日でした。

紅白の幕をして家族を呼んでテーブルは華やかでお酒やご馳走を出して

まるで結婚式のような感じでした。

家族も着物やお呼ばれの服装でおしゃれして来られていました。

まだ介護保険前の措置の時代の福祉の善き時代の敬老の日でした。

今や老人は増え続け65歳以上は人口の29,4%だそうです。

住んでいる地域を見回しても高齢者ばかりです。

そんな町内会から2人分の敬老の日の祝いの和菓子、

所属している教会からはトラピスト修道会のゼリーが届きました。

有難く頂きましたが老後のこれからの生活を

考える大切な日にしていかないとと思いました。

2025年9月14日日曜日

兄貴と俺で



今日は姉貴たちはプリキュアの映画を見にママ達とお出かけで

俺と兄貴はじいちゃん家に朝から来ていたんだ。

プラレールと積み木を合体させて遊んだよ。

積み木を兄貴が俺の乗った車を押して壊して遊ぶのもしたんだ。

楽しかったよ。

俺のお昼寝を兄貴が「おにいちゃんとゴロゴロして寝よう」と

横で寝てくれたんだけど俺はちっとも眠くならないし

おばあちゃんが「寝んねしよう」と言っても「嫌だ」と言って寝なかったよ。

だって兄貴といっぱい遊びたかったんだもの。

でもさすがに夕ご飯の時は眠くなりご飯食べながら寝てしまったんだ。

だから帰りは夜の8時過ぎにじいちゃんに抱っこされて帰ったよ。

バスにも乗り、水遊びもいっぱいして今日も最高に楽しい日だったよ。

でも昼寝なしだったのでジジババちゃんは疲れたと思うよ。

2025年9月12日金曜日

天皇皇后両陛下、愛子様ようこそ長崎へ

 



今日は天皇皇后両陛下と愛子様が長崎の戦没者の慰霊と

ながさきピース文化祭にご出席のために訪問されました。

今日のスケジュールはよくわかりませんでした。

原爆が落とされてから80年の慰霊に来られるのだから

せめて提灯奉迎に参加してお迎えしたいと思いJRで長崎駅に行き

県庁の方へ歩いて行くと警察官の方々がたくさんいました。

提灯奉迎のための検査をおこなっているのかと思い聞くと

目の前を通られるので沿道の人の為の検査だったのです。

だから私もそこに並びお泊りになるニュー長崎ホテル前で

天皇皇后両陛下、愛子様を待ちました。

1時間位待ったでしょうか?

でもその間、私達の列の担当の千葉県警から応援に来た若い警察官達が

上手に誘導し素晴らしいDJで楽しく待つ事ができました。

全国から応援駆に駆け付けられた警察官の方々をはじめ

何事もなく安全にと裏で支えられている方々に感謝です。

動画上手に撮るつもりでしたが、実際に雅子様、愛子様が窓を開けて

お手降りされるのをこの目で見たくて肝心な所は撮れませんでした。

最前列で柔らかな笑顔でお手降りされる姿を見る事ができました。

光っておられ優しい波動を感じ感動しました。

まさかお姿をお目にかかれるとは思ってなかったのでラッキーでした。

天皇陛下は8年前に皇居に勤労奉仕に行きまだ皇太子であられた時に

赤坂御所でお目にかかりましたが、愛子様、皇后陛下は初めてでした。

車はすぐに目の前を通り過ぎましたが私の心には強く残りました。

待っていて来られる3分位前には静かな雨が降りました。

その時には虹が出たそうです。

エンペラーウエザーで歓迎の虹だったのではないかと思いました。

3人おばさんのお出会い

                千日紅

久しぶりに元職場の仲間とのお出会いでした。

30年来の付き合いの3人おばさんで諫早の「梅蓮」でのランチでした。

ここは3人では10年ぶり位の所で運転手のAさんは細い道だったので

行けるかなと心配していましたが大丈夫でした。

いつもはランチして自然の中に行くのですが

さすがに昨日は暑すぎて行く氣にならずそのまま帰ってきました。

梅蓮はお客さんでいっぱいでしたが料理もおいしくて雰囲気も良く

ゆっくりできて大満足でした。

私たちのお出会いは天気を考慮して決めるのではないのに必ず晴れます。

昨日は雨の予報だったので今回は無理かなと思いましたが、

皆さんアマテラスでバッチリ晴れました。

皆、子供は巣立ち孫もいてご主人との2人暮らしです。

家庭環境も似ていて子供の小学時代からの付き合いでここまで続いています。

元気で出会え遊びに行けて有難き事だと思える日でした。

次は秋に野岳湖にピクニックに行こうと約束して別れました。

2025年9月10日水曜日

稲実りて



 近所の田んぼの稲は見事に実り

田んぼは黄色っぽくなり稲穂は垂れていました。

いつも1年分の玄米を頂く近所の農家さんに会ったので

今年の米の出来を聞くと出来はいいようで良かったです。

米が昨年から今年にかけて高騰し備蓄米まで売られ大変でした。

幸い我が家は息子の同級生の農家さんから

美味しいお米を適切な価格で頂いていたので助かりました。

米農家は高齢化でどんどん少なくなってきていて

年々、地域の田んぼも荒れ地になっている所が増えています。

米農家には支援して米は日本で消費する分は確保してほしいなあと、、。

日本の食料自給率はカロリーベースで38%で先進国の中では最低だそうです。

米までアメリカに頼るようになると大変です。

台風、大雨の被害なく無事に稲刈りができますようにと祈ります。


2025年9月9日火曜日

カマキリが



昨日は皆既月食、今日は重陽の節句で特別な日です。

それにしても暑すぎて何もしたくないなあと思うのです。

ドジャースの大谷は投手もつとめ5連敗の後

47,48号と2本のホームランを打ちチームは勝利し頑張っています。

だから私もしのごを言わず奮起して昨日からまた庭の草取りを始めました。

今日は草取りの初めから最後まで

じっと網戸にへばりついて見ていたのがカマキリでした。

もうすぐ卵を産むのでしょうお腹が大きいです。

何回も脱皮を繰り返しここまで生き延びてきているのです。

汗だくで取り組んだ草取りで

庭はとりあえずスッキリし心も軽くなり風を気持ちよく感じます。

また直に草は生えて抜かなければならないでしょうが、

大谷選手のお蔭で私も頑張れて良かったです。


2025年9月7日日曜日

日本酒利き酒会





昨夜は縁あって茂木の寿司屋さんで卓袱料理と

杵の川酒造さんの利き酒会があり行ってきました。

きさくな感じの杵の川の社長さんも来られての20人あまりの会で

常連の鹿児島、福岡からの方もいて楽しい会でした。

5種類のお酒を頂きましたがやはり純米大吟醸丁子屋というのが香りも最高で

優しいふわっとしたお酒の味わいが何とも言えず美味しかったです。

これは杵ノ川の社長の妹さんが杜氏をされて発売されたお酒で

今年の新酒鑑評会で金賞を受賞しています。

最後はどぶろくで甘酒のようできりっとしていて

卓袱料理のしめのお汁粉とバッチリでした。

この暑さで疲れていたのでお酒は控えておこうと思っていましたが

あまりに美味しくて楽しく飲めました。

長崎の地元のお酒の杵ノ川酒造のファンになりました。

帰りには満月に近い月に照らされ

「あー幸せ」と夜道を歩いて帰りました。

2025年9月4日木曜日

ドラマ「19番目のカルテ」


 TBSのドラマ「19番目のカルテ」をビデオに撮りだめていたので見ています。

来週日曜日が最終回となるようです。

なかなか面白いヒューマンドラマで舞台は大病院の総合診療科の話です。

「あなたのお話聞かせて下さい」と医者が患者に寄り添い話をよく聞き

最善の方法を見つけて関わり治療をする話です。

7話で師であるあかひげ先生(田中泯)が弟子の医者(松本潤)に海の前で語るシーン。

「話をよく聞き優しく包むこの広い海のような何でも受け止められる医者になれよ」

田中泯の演技も非常に良くて沁み入りました。

まあ医者でなくても家族、友人、知人とはこんな関係をつくらないと

いけないなあと思えるシーンでした。

セリフはそこまで多くはなくいいドラマです。

昨年はフジテレビの杉咲花主演の「アンメット」

も脳外科の医者の話でこれもとても良かったです。

アンメットもこのドラマも主題歌はあんみょんが歌っていていいです。

TBSの日曜ドラマは毎回録画してまとめてみていますが見逃したら

tyu-baで無料で見れるようです。

好評だった2023年の「VIVANT」も続編の撮影が8月末に海外で始まったようで

上手くいけば2026年の秋頃は見れるでしょう。

何かあったら

ドラマに出てくる赤ひげ先生のような医者に診てもらいたいものです。

2025年9月3日水曜日

元気でないと

 

浦上川

サルスベリ

週1回の鍼などの治療にJRで行きます。

その為に最寄りの駅まで30分歩きJRで12分乗り浦上川を渡り歩いて12分。

朝一番にフレッシュなゴッドハンドと言われる施術者の治療を受けられます。

往復で1時間半位歩くので朝の散歩って感じでちょうどいいのです。

帰りもちょうどいい電車があり無駄がなく家に帰り着くのは10時10分。

浦上川を渡るのもワクワクし嬉しい気分になるのです。

変な話しですが病院や治療院に行くのも元気でないとできません。

病気も軽い内にいい治療を受けて完治したいものです。

歩けるって人に頼らず自分で行動できるって

当たり前ではなく有難い事だと思える朝です。

2025年9月2日火曜日

9月になって

ガウラ

 9月になっても猛暑は続いていて雨で蒸し暑く体にこたえます。

あまりに暑く庭の花たちも休んでいてガウラがやっと咲き出し出した位です。

この夏は沖縄が一番涼しく(ここ何年も)何故か北に行くほど気温は上がり

名古屋、関東は40℃なんてこともよくありました。

大雨も東北、北海道と以前は降らなかった地域がよく降りました。

何か変です。

暑いですねと言いながら我慢して何の大きな手立てもできず

テレビでは水分を十分取るように、冷房は適切に利用して、

夜間でも冷房はつけて、不要不急の外出は控えてと表示がでます。

来年は長崎でも40℃の日々が来るのでしょうか?

最近は高温に慣れて32℃だと少し涼しく感じるようになりました。

暑さ寒さも彼岸までといいますが彼岸頃になると涼しくなるのでしょうか?

昨年も暑くて彼岸花は例年より10日遅れで咲きました。

今年の猛暑ではどうなんでしょうか?

9月にしなければならない事したい事など書き出しました。

暑さに負けず精進していこうと思っていますが、、。

2025年8月31日日曜日

8月最後の日

            ボール投げ

暑い中にも季節は移りほんの少し涼しさを感じる朝です。

夏休み最後の日です。

暑い中でも孫たちはそれぞれに成長した夏となりました。

4人妹弟の長男の桃太郎は「一人っ子が良かったなあ」とよく言っていましたが、

昨日初めて「弟がいて良かった」と言い弟の金次郎に優しくしていました。

今までは絶対に貸さなかった電車やプラレールも貸して

雑に扱おうとすると「投げてはだめ、優しくこうしてと」教えながら、、。

バスに乗りに行く時に金次郎を私と桃太郎とで手をつないで行きましたが、

彼が「びよーんする?」と聞いて私と桃太郎で持ち上げたりしました。

もちろん弟はご機嫌でした。

金次郎はこの夏ジジババの家によく来てくれました。

彼も言葉や行動など広がり成長した姿を見せてくれています。

暑い暑い夏休み、親御さんも子供達も大変だっただろうなあと、、。

ジジババは仕事もなく家でクーラーの中でじっとしているだけでしたが。

2025年8月30日土曜日

兄弟仲良く

兄弟仲良く

         車両基地のあるプラレール(兄貴作)

今日は俺一人がじいちゃん家に来る予定だったんだけど

兄貴も来たいと言って兄弟仲良く一緒に来ているんだ。

兄貴が来るとプラレール俺の好きなのを「これ作って」と言えば

直ぐに作ってくれるから助かるんだよ。

一緒に遊んで楽しかったよ。

電車が電池切れになっても兄貴が電車開けて電池入れ替えてくれるんだ。

俺のレールは単純で兄貴は物足りないので俺が昼寝している間に

俺にわからないように2階でこっそり自分好みのを作っているんだ。

電車の改良や色塗ってラッピング電車にしているんだよ。

俺が見つけると触りたくなるし壊してしまうから兄貴嫌なんだ。

俺が目ざめたら兄貴と一緒にバスに乗りに行くんだ。

今日も最高だぜ。
 

2025年8月28日木曜日

福砂屋のレアなビスコチョ


福砂屋が限定個数で販売しているビスコチョ(カステラのラスク)を買ってきました。

たまたま他の用事があり朝10時前に行ったので一人2個までで買えました。

カステラの切れ端や規格外になったものをカステラの釜で再度焼きあげたもので

食品ロス削減に取り組んだものです。

30年位前までは福砂屋に勤めている方から切れ端などよくもらっていました。

次男がそれをオープントースターで焼いてから食べるのが習わしでした。

何という贅沢な事をしていたのかと思います。

カステラのラスクは諏訪町のよりよりで有名な萬順製菓にも昔からありました。

ラスクになったらより甘くなり私はやっぱりカステラの方がいいかなと。

カステラ作っているお店は切れ端を売っている所もありますが、

さすがに福砂屋はプライドがありそれはしないでしょうが、、。

カステラも高くなりなかなか自分用には買えなくなりました。

そんな中でビスコチョ手頃な価格(648円)でいいかもです。

2025年8月27日水曜日

きゅうりのキュウちゃん漬け


夏の終わりに大きいキュウリが4本で200円でした。

夫と2人ではなかなか食べれないのでキュウちゃん漬けをしました。

これだと冷蔵庫でもってこれ添えてご飯のおかずにもなりますから。

上等なキュウリでこの猛暑でよく育ったものだと思います。

まあ普通に作りショウガ、塩昆布入りです。

調味液は醤油とみりんを2対1と酢でしましたが甘味が足りず

醤油、みりんは同量が美味しいようで後で砂糖を少し加えました。

仕上げはごま油、ゴマを入れました。

夫は1日1回のご飯でよくて小食で朝は少量の果物、お昼はほとんど麺で

ソーメン、蕎麦、パスタ、ラーメンなど自分で作ります。

私はご飯党で1日最低2回は米を食べないと落ち着きません。

だからご飯に合うおかずを何品も作り

夫からは作りすぎと文句を言われ結局私が主に食べてしまうのです。

このキュウちゃんも私がほとんど食べる事になるかもしれませんが、、。

2025年8月26日火曜日

暑くても

     デュランタにショウリョウバッタ

       ラグランジェアブライダルシャワー

あまりに暑く夏の2か月間は夕方の散歩はお休みです。

だから鳥も蝶も昆虫の写真もなかなか撮れません。

庭のデュランタにショウリョウバッタがいました。

8月のお盆過ぎから出てくるバッタで精霊船に似ているから

精霊バッタと言われたりショウジョウバッタと言われたりします。

本来なら紫の可愛い花が咲くはずのデュランタは大きくなっているのに

何故か全く花が咲きません。

ベビー苗で買ったアジサイのラグランジェアは大きく育ち

今になって花が1個だけつきました。

アジサイもデュランタも来年を楽しみにします。

散歩に出ないと家にいて同じ姿勢で座ったりゴロゴロしていたりで

体にも心にもいい事ありません。

今頃は田んぼでは稲の花が咲いているだろうなあ見にいきたいなあと

思いながらも暑さにかまけ体は動かず怠惰に過ごしています。

9月になったら夕方は少しは涼しくなるだろうから散歩再開しなくては、、。

暑くても昆虫も植物も頑張っているのだからと思いました。


2025年8月25日月曜日

金子みすゞの詩


金子みすゞ詩集「睫毛の虹」


夏の疲れが出たのかきつくてゴロゴロしYouTubeを見ていたら

2001年TBSの「明るいほうへ明るいほうへ」という金子みすゞの実話にもとづく

17歳から亡くなる26歳までの物語が松たか子主演で詩と共に放映されていました。

金子みすゞの詩はよく知っていますが彼女の人生については

子供を残して自死した事しか知りませんでした。

こんなに美しく暖かな詩を書かれているのに結婚生活は大変で

悲惨な人生だったんだなと知りました。

 持っていた詩集「睫毛の虹」を引っ張りだして25年ぶり位に読みました。

昔の本はほとんど処分し少し気になる本は

段ボールに入れて押し入れの奥にしまっているのですが

この本はすぐ出せるよう本棚にありました。

大事な本だと思いそうしていたのです。

英訳と挿絵はよしだみどりさんが書かれています。

この本には「明るい方へ明るい方へ」の詩は入っていませんが

有名な詩は大概入っています。

この年で金子みすゞの人生を知った上で読んだらまたしみじみいいなあと。

ドラマの最後に3歳で残された娘さんが70代で元気にされていて

金子みすゞの詩を世に出され現在金子みすゞ記念館の館長をされている

矢崎節夫氏と共に出られ嬉しかったです。

蒸し暑くきつい日に出会った金子みすゞの詩は

爽やかないい風がふいたような氣になり良かったです。

2025年8月24日日曜日

スイカ好き



お盆が過ぎ暑さがやわらぐという処暑ですが毎日異常な暑さが続いています。

こんな日はスイカが一番です。

孫の金次郎とかぐや姫がスイカ好きです。

彼や彼女が来る時は買って冷蔵庫で冷やしていると

目ざとく見つけ「スイカ!」と感動します。

小さく切ってあげていましたが大きいのを所望し種を上手にとり

「がぶり」と言ってかぶりつきます。

昔々、夫の転勤で大瀬戸に住んでいた時がありました。

新築の社宅で庭も広くそこに地元に人に聞いてスイカを植えました。

冬に穴を50㎝位に堀りそこに地元の人にもらった牛糞、藁などを埋めて

4月にスイカの苗を植えました。

夏に庭いっぱいに広がりスイカがなりました。

初なりは大きくても後は肥料切れで小さなものが4個位できました。

でも自分で作ったせいか人生で一番美味しいスイカでした。

長崎へ帰る時は両親にお土産にスイカを持って帰りました。

社宅の人からは子供はできないけどスイカは出来たねと揶揄されました。

来年は庭に丹精込めて金次郎の為にスイカを植えようと思っています。

彼がどんなに喜ぶだろかと思ったらニンマリなります。

2025年8月23日土曜日

夏休み終わりに近づき


夏休みも後8日で終わります。

桃太郎は夏休みの宿題は得意の工作は作りあげ(駅舎の模型)

読書感想文だけが残っているそうです。

本は買ったもののまだ読んでもなく

それに関して4枚の感想文を書かないといけないそうで苦にしていました。

今日は一人で遊びに来てお昼は好物の卵焼きを作っている所です。

卵に麺つゆ、水で溶いたマヨネーズ、みりんを入れて彼が味見をします。

焼くのはまだ苦手で少しはしますがほぼ私がします。

来るたびに必ず作る卵焼きです。

夕方からは地域の夏祭りがあるからと15時には帰って行きました。

残りの夏休み宿題も終わり楽しい充実した日でありますように。


2025年8月22日金曜日

今必要な治療に出会え

     かつて行った戸隠の滝


あまりに暑く涼しい水のある滝に行きたいなあと思う日々です。

7年前に骨折した肩から腕にかけて1年前位からしびれがあり

どうにかしなければと鍼灸治療院に行きました。

手術した整形外科では問題ないとの事で

日常生活では不便なかったのでほっていました。

初めて行った治療院でしたがまあびっくり肩を触られただけで

筋が固くなっているので伸ばしましょうとほんのわずか押されただけなのに

筋は伸び手を頭に伸ばすと耳までつきます。

伸びた筋は時間がたっても元に戻る事はないそうです。

そして噛みしめがあり肩がこっていますねとそれも緩めて下さいました。

草取りで無理し腰も痛みがあったのですがそれは言ってませんでしたが

右腰はひねっていますねとこれも調整してくださいました。

先生は姿勢など見ただけ体に触られるだけでわかられるようです。

もしかしたら何かの力で患者の生活習慣まで見えておられるのかもと、、。

治療院は古い和風建築で清潔そのもので氣が半端なくよくて

次元が違う空間みたいでした。

人にはそれぞれの時に相応しい医者や治療者が現れるんです。

どんなにいい治療も薬もその人にとって合う合わないがあります。

万人にあうものなんてありませんから。

しびれは血の流れの滞りでまだありますが良くなると思います。

私に今必要な治療に出会え良かったです。

2025年8月21日木曜日

映画「雪風」見て


庭の草取り終えてご褒美の映画「雪風」見てきました。

私の父は昭和17年7月から昭和18年2月まで激戦地のガダルカナル島にいました。

それは悲惨な戦いで多くの戦死者を出し餓死、マラリアなどの病死者もいて

7割位亡くなった中でかろうじて生き延び日本に帰ってきました。

帰る時は駆逐艦が迎えに来て佐世保に無事に着いたそうです。

そんな話を父から聞いていましたので

迎えに来た駆逐艦がこの雪風だったかどうかはわかりませんが

この映画見たかったのです。

始めにガダルカナルが出てきてもうそこから涙涙でした。

父は生き延び助られて日本に帰り昭和20年には原爆にまであっています。

それでも生きて母と出会い私があります。

多くの艦船、巡洋艦、駆逐艦が海の藻屑と消えていく中で

船の護衛、兵士の移動、物資の補給、人員の救助など何でも屋の駆逐艦「雪風」。

駆逐艦38隻の内で唯一戦後まで生き残り戦後は引揚者の救助などし

その後は中国に賠償艦として引き渡された船です。

幸運にも生き残った艦なので「幸運艦」と言われていたそうです。

日本は色々あっても私たちは今戦争もなく平和に暮らせています。

戦争、平和、日本国についての思いが重なるいい映画でした。

今年の邦画はいい映画が多く当たり年です。


2025年8月19日火曜日

ブドウの季節


暑すぎる夏でも季節になればブドウは出来て今年も食べる事ができます。

もう30年近く買っている時津のブドウ園から自宅用を送ってもらいました。

ここの巨峰、シャインマスカット、クイーンニーナなど特別に美味しいのです。

でも私は巨峰が一番甘く感じ一番好きです。

ブドウの中では一番早く実り秋の到来を感じさせます。

以前はブドウ園の姪御さんが私の家の近所におられ

有難くもその都度買ってきてもらいたくさん食べていました。

今は送ってもらわないといけないのでそれは叶いません。

今年は天候不順で巨峰の出来は悪く贈り物になるのは少なかったそうです。

巨峰が出来るのも当たり前でなく

こんなに美味しいブドウを食べれるのも奇跡です。

有難く頂きます。

2025年8月18日月曜日

草取り



暑すぎてバラは弱り草花も生きてはいますが花は咲かない状態です。

でもペンタスは元気で次々と花が出てきています。

そんな中でも盆前の長雨で雑草は栄えて伸びに伸びています。

あまりに見苦しいので草取りをしました。

昨日ほんの30分しただけで汗びっしょりでグッタリなりました。

今日は1時間して明日残りをしてざっとですが終わる事にします。

見たい映画があって自分に課題を与えたんです。

映画見に行くのだったら庭の草とってからにしなさいと。

そしたら暑くて延び延びになっていた草取りをする気になったんです。

明日頑張って庭を綺麗にしてから映画行かなくては、、。

2025年8月17日日曜日

俺の夏休み

        神様ありがとう

         水が一番さ

お盆休みの最後の日、俺はじいちゃん家に来ているんだ。

家には兄貴の友達が来ていて姉貴たちと一緒にプールで遊ぶんだって。

俺はじいちゃん家が好きだしバスにも乗りたかったんだ。

おばあちゃんとバスに乗って近くの神社まで行ったよ。

神様ありがとうってしたよ。

帰りは川で石投げしたり葉っぱ流したりし遊んでからまたバスで帰ったよ。

楽しかった!

昼寝してからはじいちゃんとプラレールで遊び、

庭でお花に水かけたりし水遊びでびしょびしょになったんだ。

やっぱり夏は水が一番さ。

お盆休みは家族で大分の温泉のプールでいっぱい遊んで楽しかったよ。

俺の夏休みも充実していたと思う。

だから明日からはまた保育園に元気に行くよ。

2025年8月16日土曜日

真夏の夜の夢

 ドジャース

 

野球に全く興味なかったのにドジャースの大谷選手に惹かれ

ドジャースの試合を大谷翔平を追っています。

前回のエンゼルスの試合で3連敗で地区の首位をパドレスに奪われ

今日からのパドレスとの試合が心配でした。

6月の試合でデッドボールがあり乱闘騒ぎとなり

今回は因縁の対決と言われていましたから。

大谷選手のホームランはありませんでしたが

3対2でドジャースは勝利しました。

今日もデッドボールがドジャースの投手からありましたが、

大谷選手の対戦相手へのリスペクト

などの人間性もあり問題は起こりませんでした。

大谷選手は投手と打者の二刀流で成績も出し野球界で凄い人ですが

野球が上手なだけでなくチームメイトへの思い、対戦相手へのリスペクト

人間性で回りの人を変えていく超人のようです。

ご自分も色んな面で大きなプレッシャーもあるでしょうに。

毎回、ドジャースの試合を追っていて

大谷選手の人間ドラマを見ているようで感動の連続です。

日本人の彼がMBLを変えていく人になるのではないかと

誇らしい思いで見ています。

出来る事ならロサンゼルスのドジャース球場に行って

大谷選手、フリーマンやベッツ、カーショーを見てみたいです。

真夏の夜の夢ですが、、。

2025年8月14日木曜日

迎え火で


夏至の頃と比べ日の出は30分遅く日没は約25分近く早くなっています。

お盆の頃って早く日が落ちるようになったなあと感じます。

迎え火の提灯を灯す頃は少し暗くなっていますが

西の空には薄っすらと夕焼けが残っていて綺麗でした。

今の時代、玄関の外灯は提灯の明かりより明るいので

ご先祖様は迷われないでしょうが提灯が風情があるので灯しました。

ご先祖様にと「お供え膳」をしますがこんな習慣も私の時代まででしょう。

長崎では15日夜にはお盆の供え膳の食べ物、花、果物、お菓子を

萱で作ったこもに包み海に流しに行っていました。

母が元気なうちは薄暗くなってから家族で墓参りに行き

母が用意したこもを精霊流しが行われている大波止に

流しに夫が持っていってくれていました。

子供たちも墓で花火などし賑やかでした。

色んな事が簡素化され時代に合わなくなりすたれていきます。

形は変わってもお盆はご先祖様を思い出す時で

大切にする精神は続いていって欲しいと願う盆の14日です。


2025年8月13日水曜日

お盆


            風頭の墓からの風景


100年前のご先祖様の石碑

今日からお盆で実家の墓のお詣りはすんでいましたが、

母方の墓参りはまだでしたので庭の花を摘んで今日行ってきました。

墓のある風頭からの長崎の風景は

雨後なので空気が澄みとても清々しく綺麗でした。

もう母方の墓は絶家でお詣りする人もなく孫の私が管理しています。

ご先祖様を大切にすることは自分を大切にすることです。

私にはご先祖様の血が流れていますし何かと色々影響を受けていますから。

我が家には仏壇や位牌はありませんがお盆なので両親など亡き人の写真を飾り

ご仏飯、お茶、盆飾りなど用意してご先祖様への感謝を伝える日とします。

お盆はご先祖様が帰ってくる日と言われますから玄関には盆提灯も立てて。

今日の墓参りは気持ち良くて有難いなあと思っていたら

帰りに浜の町で孫が私を見つけてくれ嫁と孫と一緒に家まで帰ってきました。

そして早く家に着いたお蔭で梨を持ってきてくれた友人とも出会えました。

高台の階段を登っての墓参りも元気だからできますし

これもそれもご先祖様のお蔭様です。

皆さまにとっても善きお盆でありますように。

2025年8月12日火曜日

幼子の教え



昨日来た金次郎は

神棚のロウソクを「神様ありがとう」と言い手を合わせふっと消します。

そしてもう一回もう一回と同じ行動をしその都度笑い全身で喜びをあらわします。

幼子は愛されようとか喜ばせようとかは考えず

自分のしたい事に夢中になっている姿に私達大人は感動します。

もう忘れてしまったものを思い出すのです。

上の写真は外から水をまきガラスに映る水しぶきに喜んでいる金次郎です。

幼子が喜んでいる姿を見るのは喜びです。

ジジババからは全肯定されるのでうちに来た時は

金次郎はいつも笑顔でよく遊びよく寝てよく食べご機嫌です。

70歳過ぎて幼子と出会え色々と教えてもらう事があり有難いです。

2025年8月11日月曜日

連休は




昨夜の大雨は激しくて長崎大水害を思い出し怖かったです。

この連休は男の子が一人づつ遊びに来ていました。

ジジババの家に来たら一人っ子になれて

自由に伸び伸びと遊べるのでいいようです。

ご飯も彼等の好きな物はわかっているのでそれぞれの好物を用意します。

ちなみに金次郎はお豆が好きで豆ご飯と

味噌汁、キュウリの酢の物、デザートは桃でした。

昨日桃太郎が帰る時に金次郎用にプラレールを組み立てていってくれましたが

でも自分の好みの組み立て方があるようで図面を見てこれ作ってと夫に注文し

部屋いっぱいにレールを広げ、しまいには私の大事な石まで持ち出し

レールの上を転がしていました。

雨でも公園に行きたがり雨の合間をぬって夫と公園にも。

喜んできてくれるので忙しくても嬉しく楽しくて苦になりません。

帰りは「大好きだよ」とハグして別れます。

こんな時も直ぐに過ぎ去りますので今を楽しみたいと思っています。

2025年8月9日土曜日

80年目の原爆忌


 今日は長崎原爆忌で原爆投下から80年を迎えます。

長崎では7,4万人が広島では14万の無垢なる人々が亡くなりました。

アメリカは2つの原爆の違いを実験したのでしょうか?

私の父は2K以内で被爆し家は焼かれ祖母は亡くなり

父はかろうじて防空壕に逃げて助かったそうですが

その後髪の毛が抜けたりし原爆症には苦しむ事となりました。

その時に家の傍の畑で母親を荼毘にして焼いた時の

何とも言えない虚しさを聞いた事があります。

母親は3,4Kの所で被爆し幸い直接的なケガはなかったのですが

妹が大橋の兵器工場にいて原爆が落ちた後、毎日妹を捜しに行き

放射能をたくさん浴びたせいか多重癌で苦しみました。

私は紛れもなく原爆2世で放射能研究所の研究材料として20歳の時から

定期的に検査を受けています。

父母が病気をみんな持っていってくれたのか私は今は元気です。

今日の長崎は雨が断続的に降っています。

いまだに争いと憎しみは消えず

戦争が起こっているのを悲しむかのような雨です。

広島、長崎の原爆で亡くなられた方々の冥福を祈り

世界の平和を願い11時2分には黙祷します。